2013年12月30日月曜日

信楽にて。日本は面白いな







健康元年2014年

2014は健康元年とする。
90歳で海外出張に月に3回行ける肉体と精神を作り維持する。
カエサルや信長やナポレオンなら50年でなんでもできるが普通の人はじっくり戦う必要がある。長期戦に耐える肉体をつくる。
結局、家康は長生きが効いた。もちろん彼も天才に違いないが。
経験を積み重ね、歳を重ねたらはい御陀仏というのは勿体無い。
21世紀中盤の世界における、あるべき高齢者のモデルになる。
すなわち、圧倒的に格好良くて仕事もなんもかんもよくできる翁。
あと最低でも60年間は働く。
ま、しかし、死ぬべき時がくればあっさり死のう。

賀茂川にて
2013年12月29日

日本初のポンプ式消防車 高輪消防署にて

2013年12月29日日曜日

原色の京都

高瀬川。





このオヤジ、なんてハチマキ巻いてやがる。


鹿がインドの牛のように闊歩している奈良県の隣では鹿カレーが売られている!これぞ日本だな。
融通無碍、なんでもありだ。


漬物を売る男の顔は、漬物のようによく漬かっていた。
漬物しか知らぬが、漬物のことはなんでも知っているような、そういう風貌のオヤジ。


俺らは食べられるためにあそこを泳いでたんじゃねぇんだコノヤロー!
なーにが「お魚さんもしっかり食べてくれたら嬉しいよ」だそこのママ野郎!!!


燕雀いずくんぞ云々なんて言うた陳勝なんぞ知るかこのボケ。
俺は断固として雀だよ。他に嫉妬してるほど暇じゃねーのよ。



富士山を見る俺と俺を見る富士山


富士山は孤独だ。

東西南北にこの山に連なる山脈は全くなく、ただ一人広大な裾野を占めて座っている。近隣のみならず世界を見渡しても、似たような高さ、形状の山は一つとしてない。

冬には富士山の"異常さ"はさらに際立つ。冬のよく晴れた日には東京からも望める冠雪白頭の富士山は、御殿場や箱根辺りから見上げると、その風景全体に富士山がもたらす圧倒的な不調和で俺をいつも驚かせる。
伊豆の山路を車で駆けているとき、コーナーの旋回を終えてアクセルを開き後輪に荷重を感じて気持ちよく加速していると、突如、文字通り富士山は、ズコーンッ!!と真っ白な頭を出す。あまりに巨大で、距離感もはっきりしない。それは、他の風景からの予想において本来そこにあるはずのないものなのだ。だが見惚れるほどに美しいその山体に、目と心を奪われる。自分が見ているというより、富士山のほうが俺を睨んでいるようにさえ思える。
誰にも媚びることのない天然の美女に惚れた男の心中とは、多分こんな具合だろう。

日本人一般が「山」という言葉から想起するものやことから(里山だったり、裏山だったり)、これほど隔たった山が他にあるだろうか。
他との形式的調和をこれほど敢然と無視した存在がー山以外でもー、古今この日本に存在しただろうか。
いずれにも俺は否と答える。
富士山という存在は、山という言葉が示すものの範疇を越え出たところにあるように思う。

富士山が日本の象徴であることの理由は、それが日本的だからではない。それは極めて非日本的であり、その存在のなかに安っぽい日本的なるものを見出すことは不可能だ。むしろ予定調和と均質性ばかりが是とされる文明に断固たる挑戦を突き付けている。それは、他に混じり、他と意思を同じうすることに堕落して安穏としている我々への強烈なまでのアンチテーゼである。
この意味で、富士山は、俺が登るまでもなく既に俺に対して厳しい。だから、美しい富士山を拝むことはいつも試練なのだ。
新幹線から望むあの巨大な勇姿は、俺にいつもこう訴えてくる。

"わしは富士だ。貴様は誰だ。貴様は誰ではなくて、誰なのだ。何故貴様は貴様なのだ?"

人間は皆弱い。
誰もが誰かとつながろうとし、孤独を避けようとする。
我々日本人が富士山を崇拝してきたのは、それが我々人間一般のそのような弱さを持たず、断固としてここにあり続けるという、時代を超越した意思と深い神性を具有しているからだ。

富士山は孤独だ。
だがけっして寂しくはない。
富士山はただ一人でいるから富士山なのであって、双子の富士山はもはや「二つの富士山」とは呼べぬ。
富士山の如き賑やかな孤独を、俺は愛する。
富士山に対する嫉妬。この嫉妬だけは、一万回生きても消えぬような気がしている。

2013年12月28日土曜日

靖国神社

こんな東アジアの国際環境で、「不戦の誓い」なんてことを首相は言っていいのだろうか。

さはさりながら。

昨年9月の尖閣を巡る日中関係の悪化も今回の安倍首相の靖国神社参拝も、実は中国にとっては実際上なに一つ悪いことがない。
安倍首相と日本を批判さえしていれば、未だに歴史に反省せず、「軍国主義日本」の亡霊が隣にあることをアピールし、共産党という腐敗しきった独裁権力げ依って立つ儚い正統性を強化することができるからだ。
(この構図は格差が拡大し続ける韓国にとっても同じだ。北朝鮮の場合は、民意など存在しない。だから、わざわざ日本の首相の靖国参拝などにコメントしない)

世界のマネーは安倍首相の参拝の後も日本株を買い続けているし、米国株も引き続き強含みだ。世界の市場はリスクオンの姿勢を強めている。
世界経済にとって最重要とも言うべき中国の政治的・経済的安定を、靖国の英霊達は汚名を被ることで担保している。実は、新聞報道とは違って、東京と北京とワシントンはかなり密接に連携しながら共通の利益のために動いているのかもしれない。

さて、年末の靖国参拝と神保町古書店巡りに繰り出そう。

2013年12月23日月曜日

雑記

◯自動車の低燃費競争。資本主義社会だからしっかり競争してくれればいいんだが、リッター30kmと35kmの年間のガソリン代の違いを考えてみればちょっと騒ぎすぎだという気がする。偏差値教育に親しんだ人間たちには馴染みやすいのだろうかね。
年間1.5万キロ走行する場合で、油価をリッター150円としたとき、月当たりのガソリン代の違いは8リッター30kmの車のほうが、893円高い。一日当たり30円。高いとみるか安いとみるか。10年乗るとしても、車両価格が、10.7万円35km走る車のほうが30kmの車より安くないとペイしない。言葉巧みなディーラーの口車に乗ってはいけない。

◯軍靴の足音が...などいうアホがいまだに俺の家の最寄り駅にもよく出没するんだが、彼らには日本人の軍靴の音しか聞こえないらしい。
中国人の軍人は共産主義だけに真っ赤なハイヒールでも履いているのだろう。

◯楽天球団の社長は立派な人だと思う。立派な、というのか、まともな、というのか。意地悪な、「田中をメジャーに行かせないのか?」という質問に、「我々は選手を育ててメジャーに送り出すために球団を運営しているのではなく、メジャーよりも魅力的な日本のプロ野球にしていきたいと思っています」。
極、正論である。

◯リスクがある、というのは具体的に何を言っているのだろうか。
例えば、「トヨタ自動車の株式を100万円で購入すること」には、株主有限責任の原則から投資額100万円を失うという、定量的で、損害が限定的なリスクがある。
他方、「富士山が噴火して関東平野に厚さ5cmの火山灰が降り積もり東名と東海道新幹線と中央道が不通になり、その他云々のリスク」という場合の「リスク」とは、損害も影響の範囲も明示的に把握することができないという意味で、リスクという言葉でありながらコミュニケーションにおいては「可能性」と限りなく近い意味で使用されている。「リスクがある」と言ったら勝ち!という社会にだけはしてはならない。
面白いことに、再び原子力事故や南海トラフ地震や火山の大噴火が起こることを危惧する人は、誰もそれらよりもはるかに効率的に日本人を虐殺できる実力のことには触れないのだ。すなわち、中華人民共和国の核ミサイル。

◯興味深いことに、EIAが言うとうり、アメリカが化石燃料を中東に依存しなくなれば油価は長期的に下がるかと思いきや、まさにこれが理由でアメリカがPivot Asiaなんて言ってエジプトにもシリアにも介入せず、イランとも融和的な姿勢を見せている。で、スーダンで油を巡って何が起こってももはやアメリカは出張ってこない。スーダンだけでは世界の石油市場への影響は限定的だろうが。
注目は、アメリカと同じ極東アジアに目を向けているモスクワである。東アジアでのワイルドカードは、ロシア。中国が支配する西太平洋なんてえげつないものを受け入れる準備があるはずがない、と思う。

凄まじきダッチオーブンの威力

たった60分で鶏はホロホロ、セロリはフニャフニャ。



伊藤之雄「伊藤博文」


年末の推薦図書。

伊藤博文といえば、初代内閣総理大臣だということを知っている人は多い。
だが彼が大日本帝国憲法発布、施行のためにどれだけの貢献をなしたかはあまり知られていない。ような気がする。やっぱり山縣が公布のときの総理大臣だったしね。
最近の韓国関連の報道もあって、安重根という犯罪者に殺された初代朝鮮総督として知られているかもしれない。
この著者(京大教授)の、淡々とした歴史論述は、あくまでアカデミックな書き方に終始する。冷静である。第一次史料を丹念に追い続ける。あまり興奮を誘うようなものではないと言ってよかろう。
だが、その緻密な調査と論考をたどり続けていくと、そこらの歴史小説の何倍も面白い自伝であることがよくわかる。それもそのはず、伊藤や彼の時代が生きたあの時代そのものが、英雄物語の豊かな土壌であったからだ。そこで活躍した伊藤博文という偉丈夫もまた素晴らしい。
西南戦争などの不平士族の問題、憲法発布と施行、国会開設、不平等条約改正、清国・ロシアとの朝鮮半島をめぐっての戦争・外交、to name just a few。
現代日本の出航のとき、政権中枢で最も重い任にあった伊藤という人間の青壮年時代を読むことで、一国を、あるいは組織を指導していくものが持たねばならぬ恐れと緊張がよく伝わってくる自伝である。
想像して欲しいのだが、今までサムライの国だった日本の今後の国の形を決定する憲法を、他にまったく知っている人がいないなかで自ら学び、欧州でシュタインに教えを請うて、一人で書き上げていくという行為は、そこらの作家が「作品を書くことは孤独なことだ」などとほざいて言う孤独とは桁が数段違っている。これほど恐ろしい仕事があるだろうか?一つ間違えれば人が死に、国が滅ぶのだ。
もう一つ言いたいことは、大日本帝国憲法に「天皇は神聖にして侵すべからず」とあることや統帥権を天皇陛下が持たれたことなどから、立憲主義国家の憲法ではなかったなどとして、これを克服したのが日本国憲法であるなどという向きがあるが、大間違いもいいところだ。
第四条では、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあるし、第五条には、「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」ともある。この憲法のどこをどう読んだら独裁権力が陛下に付与されているなどと読めるのか。


2013年12月22日日曜日

愉快だなー

教養とはなんだろうか。
古今東西の古典の有名な一文を諳んじられることだろうか。
お茶や花、ピアノやクラシックバレエを嗜んでいることだろうか。

俺思うに、教養とは、当たり前のことに感動する力のことだ。それを当たり前と思わぬ大規模にして広漠たる視野を地平と歴史に行き渡らせることだ。
真に教養というべき素養を、生来的にか、宗教を通してか、学問を修めてか得たものにとって、はっきり言って全ては偶然がもたらした世界における刹那的な不幸であり、歓喜である。

仕事を終え、家路につく。家では、妻が夕食を作って待っていて、その足元には18ヶ月の娘がいる。
週末には、陽光を浴びながら窓際でソファに腰掛けゆっくりと偉人の自伝を読める。珈琲は美味い。

俺は、この境遇には、なんの根拠もないことがよく分かる。神が差配したこの俺の小世界であれば、どんなことがあっても守られもしよう。だが、ここにそんな盤石たる根拠はない。一度俺が道を誤れば、すぐさま瓦解し二度と元には戻るまい。
だから、俺は今のこの境遇を、天がたまたま俺に気まぐれにか、俺に何かを期待してか俺に与えただけのものだと思う。故に、この上なく有り難いものだと思うし、努力して守りたいとも
思う。
全てを疑う力は、我々に孤独を要請することもある。だが、全てを疑うものは、まさに全てを疑うが故にこそ、全てのものに感謝することができるのだ。
あらゆる偶然性に時に頭を殴られ、しかしそれを抱きしめて、我々は生きていく。そしてその先には唯一絶対的なるもの、すなわち死が静かに我々を待っているだろう。
だからといって、我々は、偶然性という荒波に弄ばれ、死という絶対に絡め取られるだけの、大海に投げ出された小舟のような存在などではない。
世界に偶然性が満ち満ちていようとも、今日俺が"如何に存在するか"は、ただ俺のみが決める。ここに、究極の自由の淵源はある。
大波も鮫も襲いこよう。だが、そんなものに負けてはいられない。
舵を取るのは、我々なのだから。

2013年12月16日月曜日

イチローのインタビュー(プロフェッショナル 仕事の流儀)

「4000本を売った9日後に、9点差の試合で8回裏に代打に出された。一生忘れない、今後の自分を支えてくれる経験。普通、ルーキーやメジャーに上がりたての若い選手が務める仕事。打席を拒否することはできた。が、逃げなかった。そういう自分が自分はけっして嫌いではない。」

「これまでの自分を支えてきたのは、屈辱。成功ではない。」

「18歳の、1本の安打も打ったことがない自分は、ドラフト直後のインタビューで打撃とは何か?と問われ、打撃は楽しい!と躊躇なく答えた。4000のヒットを打ったいま、そんなことは絶対言わない。全然楽しくない。変な話。」

「自分が強いとは思わない。だけど、自分の弱さを見つめることはしてきた。屈しない自分でいたい。」

「最終的な打撃の形はない。だから前に進もうとする。常に前に向かいたいがそうもいかない。後退もある。はっきりしているのは、近道はないということ。ぼんやりとした遠くの理想に近づく方法は、遠回りをすることだけ。」

「結局は、野球がどれだけ好きかということ。僕、大好きだから。野球からほぼ全てを学んだ。そんなものに、デタラメな姿勢で向かえるわけがない。」

「まだやれることがある、というよりは、何かを達成したからやめる、というよりは、まだ苦しみが足りない、そう思う。まぁ、まだ苦しみが足りないと考えているということは、まだできると考えているということだろうけど。」

今シーズンの最後、162試合目。ヤンキースのレギュラー陣は出場はないとスパイクも履かずにのんびりしていた。イチローだけは、打撃グローブを手にはめ、いつでも出られるように準備していた。たまたまその試合は延長14回まで続いた。イチローは、14回表のイニング、ロッカーでいつでも打席に向かえるように素振りをしていた。
これが、イチロー。
試合に出ようが、凡打に終わろうが、4000本目の安打を打とうが、自分だけは変わらない。
それが、イチロー。

2013年12月16日

2013年12月7日土曜日

プロテスト4日前

"水炊き三谷原"にやってきた不藤さん。
会社を休み忘年会をサボってスーパーフライ級のプロテストを受けるストイシズムに敬意を表す。
妻曰く、「ふどうくんけっこう子供好きやで」、と。

2013年12月1日日曜日

伊豆半島へ

伊豆半島の南端から伊豆大島を眺めていると、南から相模湾を北上する艦影を捉えた。その艦までの距離はおそらく10km-15km。
確かではないが、巨大な艦橋構造物からイージス護衛艦であることは間違いなく、また艦尾にヘリコプター格納庫が認められないため「あたご」型ではなく「こんごう」型と思われる。横須賀の「こんごう」型であれば、こいつは「きりしま」でしたっけ。



午前七時の太陽。冬の太陽とはいえ、夜を知るものは朝の太陽の有難みを知悉せる者だ。
炸裂するような旭日。



太平洋を、「おっきなチャプチャプだね~~~!!!」と言う母と、海にビビってしまい逃げようとして海にバイバイの手を振る娘。