2012年8月22日水曜日

なぜ今俺はDCでFoucaultを読んでいるのだろう

「野戦と永遠」(佐々木中)。。。なんと艶っぽいタイトルだろう。
フーコーがニーチェをどう理解していたのかについては非常に興味深いです。
保守主義者と自認していたのに、フーコーフーコーとかなんとか言って五月蝿い姉貴の左翼ぶりが大嫌いだった僕は、いつからかオルテガやバークを離れて、ニーチェやマーク・ローランヅに強い影響を受けるようになりました。
そして、なんとなくは予感していましたが、佐々木中を介してフーコーに至ったというわけです。
「監獄の誕生」をまずは精読する必要があります。
自分としては、ニーチェを読むことが保守主義者を自認する自分にとってどういう意味があることなのかなんとなく分かっていたような気もします。
特に、戦後日本の55年体制が民主党政権になっても全く改革されぬこの政治の現状では、また世界規模での資本主義が恒常的なバブル生成と崩壊を抜きにはすでに成り立たなくなっているこの世界の現状では、僕が少しずつでも現状に対して、フーコーの言う「戦争」をしかける方向に向かわざるを得なかったように思います。
世界を恒常的な「戦争」状態として認識するというこの一点において、僕は完全にFoucaultに賛成します。
世界は、Staticではありえない。静的状態を求めるのは、既得権益の上に座った豚たちです。
しかし、それでも革命は、
Revolution、つまりRevolve=回転するわけです。
世界を回転させて、つまり天を回す=回天させ、現状を打破して新しい世界を啓いていくのが革命と理解するならば、現状肯定・追認なぞ保守主義でもなんでもないことが分かります。
しかし。戦争は常に目的であるべきではないのです。
生きている形態としての我々の生の高揚を求める生き方は、必然的に闘争的になるでしょう。
それが目指すものとしての目標は、もしかしたら風船でしかないのかもしれない。

しかし。
ーコーの言う「主権権力」「規律権力」「生権力」。
それらすべてから、彼女は何故かくも自由なのでしょう。
不思議です。

2012年8月16日木曜日

アメリカで見つけた美味いもの

それは...


青りんご!


パワーのある新鮮なものを食べてないなぁって顔しとるよね、この国の人は。
ステーキステーキというが千屋牛のような牛肉はここにはない。

何故アメリカの女性の多くはタイトなワンピースを着て足元はビーチサンダルなんだろうか。不思議。

Escalatorで、130kgくらいありそうなおばさんの直径1メートルくらいの象かサイみたいな尻を見上げながら、あぁこれがアメリカのGDPを支えとるんやなぁとか、このおばさんが後ろにこけたら俺押し潰されるなとか思う巡らせる今日この頃であります。

防衛出動できるかなー

よく見ろ日本人。
世界はジャングルだ。これが世界の普通の状態で、我が国だけに流れていた甘ったるい過去67年間が例外なのだ。
30年前にフォークランド諸島を侵された英国は、断固として戦争に訴え600人の犠牲を伴いながらもこの島を奪い返した。正義を自ら実現した。
韓国や中国が悪いのではなくて、悪いのは日本だ。彼らは隙あらば奪うという狼としては当たり前のことをしているだけで、日本という羊だけが狼に尻をかじられているのに反撃するでもなく「やめてくれよう、メェェェ」と泣いている。
それにしても、尖閣に不法侵入された日に、日本各地で「不戦の誓い」が新たにされている。冗談にしては出来過ぎだ。
平和が欲しければ北方領土と竹島と尖閣と沖縄と奄美諸島と沖ノ鳥島に対する支配権を放棄すればよい。
そのうち北京が、「日本は聖徳太子以前は中国政府に朝貢していたのだから、九州も四国も本州も北海道も中国領である」と言い出すだろう。沖縄を返せ!と既に言っているのだから。
世界はかなり単純にできていて、生きようとする意思のないものを誰も助けてはくれない。
一回滅びてまた立ち上がるしかないのかね。

2012年8月12日日曜日

フィリピンで語り継がれる特攻精神

http://www.youtube.com/watch?v=HknYSn-sGtU&feature=related
Youtubeより。
格好良く生きて死にたい人はどうぞご覧ください。
なんとなく生きて意味もなく死にたい人はご覧にならないでください。

「日本のお陰でアジア諸国は独立した。日本という母は難産で母胎を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米英と対等に話せるのは、身を殺して仁をなした日本という母のお陰だ」

-ククリット・プラモード 元タイ王国首相


2012年8月11日土曜日

馬鹿陸上選手

何十万年経っても俺の子孫が、偉業を成し遂げたときに、

「俺は生きる伝説だ。これからは俺のTwitterをフォローするように報道してくれよな」

というような、走ることしか能がない畜生レベルの人間にならぬことを祈る。
本当にあのウサイン・ボルトという競技者は、ジャマイカの恥だ。
彼のせいで、ジャマイカという国の民のレベルが推し量られてしまう。
「脚が速いっていうだけでこんなに注目されて困ったもんだ」と思うところはないのかね。
紳士らしいウィットのきいたジョークもなにもあったもんじゃない。
ああいう選手がいると五輪もスポーツも全て白ける。生きる伝説が自分で「私は生きる伝説です」っていうわけがなかろう。

チーターが全速で走ると100mを3秒と少しで駆け抜けるそうな。
マッコウクジラは3,000mもの深海に潜るし、マグロは100km/hで海中を巡航することができる。
チンパンジーの腕力には往時の魁皇の右上手でさえ絶対勝てないし、獲物を何十キロも何時間も追いかけ続ける狼の持久力にはどんなマラソンランナーも及ばない。

人間が他の動物より優れているのは、人間から見て「優れていると好ましい」と思うところにおいてのみなのだ。「今一億円を投資すれば5年後に1.5億円になって返ってくる」とか「この人と仲良くしておけば将来いいことがある」とか、そういう猿の世界のお話。
肥満の人類が街をゼイゼイ言いながら走っているのを見ると、「狼は走る時に頭がブレない」というマーク・ローランズの言葉を思い出して、そのランナーを小馬鹿にしてしまうのは俺の最近の悪癖である。

人間は基本的に内心においては恥ずかしい存在で、恥ずかしい存在であることを忘れてしまうと本人は幸福なんだが、見ているこっちがどうしようもないほどに彼が痛々しく見えてしまう。

2大会連続の2種目金メダル、オデメト~

2012年8月8日水曜日

新しいYork


臭い街だ。鳩と雀が路上に死んでいた。
刺激的な街というが俺には喧騒の街としか思えぬし、自分の外部に刺激がないと退屈するような他律的な人間ではどうしようもない。
それにしてもなんであそこまで太るまで食べられるのかが分からん。美味いものばかりというわけでは全然ないのに。

デブは敗北である。そこに意思がないから。
だが、意思ある限り、我々に敗北はあり得ない。

2012年8月7日火曜日

永遠が灰色に香るあの場所で

今と言った瞬間に過ぎ去る今は常にここにあらず
過去はすでに過去の過去となり
未来は未だ来たらざりし
ただ無縁の永遠だけが とぐろを巻いて俺の前に座っていやがる
だがそれがなんだというのか
俺の目の前の永遠が俺を畏怖させるとでもいうのか
俺がそんなもののせいで走ることをやめるというのか
生きることは従うことか
生きることは笑うことか
生きることは企むことか
生きることは謀ることか
生きることは計ることか
生きるために生き そのことさえ自分では知らず 搾取され欲望さえも既に自らの手から離してしまったすべての畜群の頭には いつもダモクレスの剣が携帯電話の電波によって吊り下げられている
何度でも言おう
俺は常に絶対に正しい
そして貴様も常に絶対に正しい
絶対の正が複数個あるならば ありえるならば この世は俺にも貴様にも正しさだけではなく圧倒的な強さを求めるだろう
敗北した勇敢な英雄の記憶は 彼がそれを真に求めたから事後に生まれたのであって 敗北主義のヒロイズムなど 糞より役に立たぬナルシシズムである
我々は 最も正しくあろうとするとき 最も残虐で狡猾である

2012年8月5日日曜日

Washington DC

空港に着き入国審査を経てから荷物を拾い、真っ黒のターバンと同じ色の髭が顔の七割の面を覆っている、恐らくはインド系のドライバーが運転する年季の入ったキャデラック(らしき車)に乗る。アイボリー色のレザーシートはふかふかで、古いアメリカ車らしくなんともふわりふわりとして後席の乗り心地は最高である。少し前に深夜乗った日産Fugaのタクシーとは正反対で、乗せてもらう分にはこういう乗り味も悪くない。
走りだしてすぐ、Northrup Gramanという巨大な文字が目に飛び込んできた。俺らの零戦などと太平洋で数多の激戦を繰り広げたあのF6F”ヘルキャット”などを製造した、20世紀の戦闘機史における巨人、”グラマン”である(本社はカリフォルニア)。ちなみに映画「トップガン」で有名なF-14”トムキャット”もグラマン。

Dulles国際空港を出て高速道路に乗ると、アメリカ生まれの日本車が多く走っている。トヨタのセコイアとか日産のパトロールとか、こういう巨大SUVがリーマンショックの前まで大きな利益を日本の大手自動車メーカーにもたらしたのだが、こういう車がサバ―バンやナビゲーターなどの米国産フルサイズSUVと肩を並べて片道6車線(そりゃ車幅2mあっても気にならんわな)の道を圧して走る。
そういう巨大なアメ車以上にアメ車的な外国製(おもにMade in US)日本車にはあまりなんとも思わんのだが、Mazda3(アクセラ)とかLexus ISなんかがでぶっちょアメリカ人を乗せて走っているのを見ると、「広島からこんなところまでやってきたんやなぁ、がんばれよ!」などと思ってしまう俺は少し国粋主義的かね。

高速道路を下りてDC郊外の住宅街の方に向かうと、世界の首都たるアメリカの首都とはいえ、一歩郊外に出れば森が広がり、その中に大きな芝生付きの邸宅と言うべき家々が軒を連ねる。日本の住宅事情がこれから改善することを祈らずにいられない。政府もようやく重い腰をあげつつあるが、住宅の中古市場が充実して、「家は補修しながら長く住み続けるもの。譲り渡すべき公共のもの」という認識ができてこないと、家に資産としての価値が維持されるようにはならないだろう。30年のローンを払い終わったらそのマンションには残存価値がほとんどゼロなんて言われちゃ、お父ちゃんはなんのために頑張ってローンを返したのかよく分かりません。

さて、今夜はナショナルズの試合(メジャーリーグ)を見に行こう。

初めての海外での暮らす場所がWashington DCというのも俺の行く末を思えば示唆的だ。
誰もがIphoneを持ってて、スターバックスはそこかしこにあるし、こうやってブログだってこれまで通り書けるわけだが、それでも俺は「アメリカに来た!」と精いっぱい力みながら研究と仕事に取り組もうと思う。

「アメリカにおける秋山真之」を再読するのがとても楽しみである。