2012年6月9日土曜日

優子、露わる、現る、顕る。


30歳にもなればだいたいの人生で出くわす幸不幸の場面に適切な喜怒哀楽の表情や言葉遣いや振る舞いを知っているわけで、そうではない30歳はかなり悲惨な30歳であるか、はたまた天才である。

自分が死ぬとか戦争が起こるとか福島第一原発四号基の使用済み燃料がメルトダウンして東日本が壊滅して誰も住めなくなるとか、アストンに乗って妻と日本を縦断するとかいろいろと想像はできるし、そういうときにどういう顔付きでいればいいのか分かるんだが、自分の子が生まれるというのは、頭では理解していてもいまいちよう分からん。
高橋尚子というマラソン選手が2000年のシドニーオリンピックで金メダルをとった。あのレースでゴールした直後の彼女の表情は、どこか焦点が定まらず、喜びを爆発させるでもなく戸惑っているように見えた。
たぶん、俺も分娩室に入って妻と娘を見たときはそんな顔をしていたのじゃないかと思う。
人間は、経験したことのない状況に遭遇した際、引き出すべき表情の棚を持ち合わせていない。
ああいうタイミングでどこかの記者に「今のお気持ちは?」と尋ねられたら、どこぞの頭の弱そうな女優のように「別に」と言ってしまうのも無理なからんことであろうよ。

いま、この瞬間、俺は娘が発する強烈過ぎる重力に吸い寄せられてしまって、それに身を任せて奴のほっぺたに俺のほっぺたをくっつけてしまいたいという誘惑にさえ駆られていることを告白しよう。
今時流行りの"イクメン"ってわけかコノヤローッ!!!

しかれども。 さはさりながら。ねばーざれす。はうえばあ。

俺自身が、娘を太陽=中心としてその周囲を他律的に周回するだけの惑星になぞ成り下がってたまるか。
俺は、子供を育てるということは、豊かな家庭生活において充足を見出し、子供を愛し教育するだけでは到底足りぬことを社会経験と私的経験から皮膚感覚として深く理解している。
俺が自ら爆発しながら熱を発し続ける太陽であってこそ、俺の家族は俺を中心に熱く仲良く愉快に生きていけるだろう。
おぉ、とうに火薬は湿って腐り、爆発しそうもない肉体と精神を毎朝満員電車に潜り込ませて奴隷労働の現場に向かう幽鬼の如きよれよれスーツの男達よ!君たちにもかつて男であった時代があったことを冀う。
おっと、Nitzcheが現れましたな。
だから、子供が生まれたからといって俺は娘に俺と妻の仲をとりもつ鎹になって欲しくはないし(いい迷惑だろう、子供からしたら。子供のこと以外に夫婦の間に会話がないのは夫の頭にゲームと漫画しかないからだ)、一義的に俺の人生を我が娘のために生きようとも思わない。

今日、此処に、俺は我が娘に対して宣戦を布告する。
それは、大きな未来を有してここに生まれた生後10日の娘よりもさらに巨大で華やかな俺自身の未来を自らの力で掴み取るための戦いの宣告である。

母の胎内に十ヶ月の間潜んでいた君は今やその姿を露わとし、この現世(うつしよ)に出で来った。これから君は自らを如何にこの世界に顕していくのか。
正直に言えば、俺は楽しみなのだ。とても。
たぶん、世界に対して容易には阿らぬ頑固娘になってくれるだろう。 頑固たることは容易ではない。
この世の中、誰もが好き勝手なことを言う。しかも、自分にとっての利益を世界の善であるかのように上手く騙る。だから、俺も君も信じるものが必要だ。何か信じるものさえあれば、生きるのにも死ぬのにも人生はけっこう愉快なのだ。

ところで、我が娘を"ゆうこりん"と呼んだ者は石打の刑に処したい。味噌糞芸能人と俺の娘を同じあだ名で呼ぶことに対してなんらの違和感も抱かぬような言語的に不潔な輩の娘への接近は断固これを排除することを通告しておく。

それにしても、我が妻の子として生まれたこの子は、本当に恵まれている。
俺の子として生まれたことは、どうなのか知らん!