2014年7月6日日曜日

読書メモ’s

〇仲正昌樹「精神論抜きの保守主義」 (7/2読了)
名指しで批判してはいないが、産経新聞や「正論」や「諸君」のようなものを「精神論ばかりの保守主義」として書かれていることは明らかである。代わりに著者は、西欧の著名な保守主義者の思想について語るなかで、近代保守主義の系譜は決して昨今の日本の「保守派」のように急進的に戦後体制の変革を志向するものではなく、むしろ実利をとるための合理的な思考過程として選択されるものだと言う。
日本の現代の保守派と言うものたちが、精神論ばかり語ったり、感情的に反対派(例えば朝日新聞)を批判するばかりであることに飽き飽きしているまともな人達は多いであろう。そういう人にはお勧めしたい本である。
もう少しだけ現在の日本とそれを取り巻く世界の状況とそれに対する処方箋として我々がどうするべきかの論述があればとも思ったが、それは我々に課された仕事である。

〇尾崎秀実「愛情はふる星のごとく」 
(7/4読了)
言わずと知れたゾルゲ事件で絞首刑になった共産主義者である。
獄から妻子に宛てた書簡集。
検閲のためか、尾崎の思想を述べたような場所はほぼない。
見えてくるのは死が目前に迫った時に一人の人間、インテリ、夫、父としてどのように彼が振る舞ったのか―ということのみだ。
そして、この意味では、どんな人物も、共産主義だろうが国家主義者だろうが無政府主義者だろうが、あまり変わりがないのかもしれない。
どんな政治信条を持っていようが、妻子を思い、自身の命をこの世の中、歴史において如何に位置づけてみせるかということが我々人間の全てに共通する問題であり挑戦であるように思う。
いたるところで書かれる「食物考」が実は一番面白かった。「高知のカツオのたたきというものは非常にうまかった」と書かれていて、今から考えると東京と高知も一週間の旅でしか行けなかったわけで、俺が「NYCのステーキは旨い」ということに近い。
「ネール自叙伝」とネール「娘インディラへの手紙」が面白そうである。

〇コリン・パウエル(元米国国務長官・統合参謀本部議長)「リーダーを目指す人の心得」 (7/5読了)
重要な言葉たち。
「部下からの尊敬を求めるのであれば、まず部下を尊敬せよ。」
「リーダーとは、問題を解決するために存在する。」
「部下について注意を配り、彼らをよく知るよう努めよ。」
「物事をなすのは組織ではない。物事をなすのは計画や制度ではない。物事をなすはただ人である。組織や計画や制度は、ただ人を助けるか邪魔するかのどちらかである。」(ハイマン・リッコーバー将軍)
NYCで床を雑巾で拭き掃除をしていたジャマイカ移民二世の黒人が、NY市立大学在学中に加入した予備士官訓練制度からついには世界最強の米軍のTOP(統合参謀本部議長)にまで上り詰めた。面白いことに、この本を読む限り、「上り詰めた」というような印象は全くない。だからこそ、パウエル氏は部下に支えられ、上司に愛され、やがて国務長官となり、大統領候補とまでなったのだろう。
イラク戦争直前の2003年1月に彼が国連で行ったサダム・フセインが準備しているという生物兵器についてのプレゼンについて、「不存在を知っていたなどということはない」と断定し、しかしその過ちを悔いている。
ラムズフェルド国防長官とパウエル氏との違いとしてよく言われた、「圧倒的な戦力を一気に投入することが常に最適だ。なぜなら、それができるときにそうしない理由がない」というところは、ラムズフェルドと違って彼が元軍人であり、数十万の命を預かる立場に長くあったことも影響していよう。
「軍人は戦争をしたがる」というのは、少なくともアフガン戦争とイラク戦争時のアメリカを見る限り、当てはまらないように思う。

〇橘川武郎「電力改革」 (7/6読了)
日本の過去150年の電気産業の趨勢。

1.石炭火力中心(大規模長距離送電なし):1887~1900年代
2.水力中心(地方から都心部への大規模長距離送電が可能に):1900~1950年代
3.石油火力中心:1960年代~1973年
4.原子力を中心としつつ、LNG火力と海外炭を加えた"脱石油"時代:1974年~

と述べた後で、5.の時代として、福島原発事故以後の現在について提案するのは以下三つ。

A.電力産業体制改革
→小売の自由化(16年4月~)と電力会社間競争、新規参入(ただし発送電については競争を制限する)
B.電力需給構造改革
→これまでの供給サイドからの調整だけではなく、需要サイドからの調整を行えるようにする。スマートメーターなど。
C.原子力政策改革
→原発事業の国営化とバックエンドにおける再処理とワンスルーの併用。加うるに、電源開発促進税を中央から地方へ移管。

これから起きて行く、起こさねばならない改革というのが、国家百年の計を担う大改革であることがよく分かる。
著者がこの新書のなかで何度も言うC.の「原発事業の国営化」については、俺は思うところが大いにあるが、またいつか語りたいと思う。