2011年4月3日日曜日

勇気の在り処 

去年、このブログに姪がダブルベッドに「へにょ」と寝る姿を撮った写真を載せた。
その記事のタイトルは、「Without love, no valor. Without valor, no love」(愛なきところに勇はなく、勇なきところに愛はなし)だ。

これまで、「勇」とは武張った猛々しい侍の精神が全面に押し出されたものであると思っていた。つまり戦闘者の戦時における精神の構え方だ。
だが、どうもそれが違う。俺の誤解だったようだ。相変わらず幼稚である。
藍子がすやすやと眠る写真を見て、愉快になった。何も怖くない、ゴジラが火を吹いて立ち塞がっても竹槍で突撃できるぞという勇気が沸いてきた。
しかも、それはーまったく驚くべきことだがー、誰かに対する敵意とか闘争心とかとは全然次元が異なるもので、とても穏やかな勇気だった。顔をしかめて敵を睨む敵愾心ではなくて、守るべきものを穏やかに眺めながら一旦緩急あれば俺は猛虎のように戦える、そういう確信だ。
腹の奥底にそういう確信さえあれば、平時において肩で風切って歩く必要は全くない。
井上武彦がバガボンドで武蔵の成長を描く時にイメージしたのはこういうことだろう。

最も勇敢なるものは、いつも朗らかに笑っている。慌てることも怒ることもない。
思いだけは腹の底の小さな太陽となって燃えている。だから、彼の身体はいつも温かい。
俺は、そういう男になりたいと思う。

独り言:

○せっかくのエイプリルフールだったんだから、上野公園のパンダを一日だけ黒熊か白熊にしてもよかったのになと思わずにいられない。あのルックスって、「いたずらしてください」と言っているようにしか見えないんだが、皆さん「かわいー!」って言って満足?

○先日百万遍を散歩しているときにふらりと立ち寄った古書店で買った「金大中獄中記」を読んでいる。獄中記というものを読書の類の一つとして作る必要があるように思う。今本棚に「獄中記」の場所を作ったところだ。
とは言いながら、たいしたことのない読書量のなかで読んだ獄中記もしれたもので、読んだものは佐藤優「獄中記」と吉田松陰「留魂録」ぐらいだ。
獄中記一般を俺が面白いと思う理由は恐らく次の三つだ。
ひとつに、政治権力によって投獄されてしまってもそれでも何かを伝えなければならないという著者の強い心の動き、衝動だ。投獄されて落胆し、諦めることもなく孤独な牢獄生活のなかでも読書、祈り、思索を絶やさなかった者は真に偉大だ。
ふたつには、それらが自身を否定しようとする「敵」に自由を奪われるという考えられる最も最悪の状況のなかで書かれているということだ。ヘミングウェイは、「あなたにとって最高の教育はなんだったか」と問われて、「幼少時の苦労だ」と言ったが、暢気で気楽な幸福それ自体は否定されるべきものではなく我々が愛するものであるが、やはり人の心を揺さぶるような言葉は多くの場合苦境において紡がれるものだ。
みっつに、信仰だ。ガンディー(これから読む)、金大中、佐藤優、いずれも敬虔な信仰者だ。獄中記を残してはいないが、19世紀~20世紀の200年間で日本最大の人物であった大西郷も、極右の坊主・月照を匿った罪で島流しにあっているが、彼自身も「敬天愛人」という言葉からうかがわれるように明確な信仰を持っていた。
事務作業員ではない指導者は、理想を語らねばならず、理想を実現するための胆力は信仰からしか生まれない。指導者の任務は、分析し批判することではなくて、物語ることだ。物語は、信仰からしか生まれない。
金大中氏の獄中記は、政治を志す者必読の文献であると思う。
バガボンドの言葉を思い出した。
「祈ることしかできねぇのか」(武蔵)
「祈ることができるんだ、我々は」(沢庵和尚)

○社会が自分のためにあると考えるか、自分が社会のためにあると考えるか。
他者が自分のためにあると考えるか、自分が他者のためにあると考えるか。
それによって、その人間が真に男であるか否かは決まる。
自分に与えられた天の恵みを思い遣り、誇り高く生きたいと願う時、男は勇ましく小さく笑う。

○愛と肉欲は矛盾対立するものであるか。10年前の大学時代からずっと考えている大問題だ。
30歳を前に、どうやらそれに一つの明らかな回答を準備できたように思う。
真に宇宙的な恋愛において、あらゆる矛盾は止揚される。
否、矛盾が存在する余地がないというべきか。
長渕剛風に言えば、「なんの矛盾もない」(そのままですが)

○今週末の散財日記
-John SmedleyのSweater
 真っ白を買ってしまった。大切にしよう。イギリスのセーターを初めて買った。
-古川薫「高杉晋作ーその魅力と生き方」新人物往来社  
 不藤が「こんど晋作について話そう」と言うから、こりゃ不勉強じゃわいと思いとりあえずの一冊。
 この部分を読んで俺は似ていると思った。傲慢だがね。
 「塾(松下村塾)に映ってからの晋作は、それ以前の彼の生活態度を知る者にとっては見違えるばかりの学問に対する打ち込みようだった。剣術に凝る暴れ者として思われていなかった晋作が、これほどの読書家であったことは、人々を驚かすに十分だったし、かつて大きく差をつけられていた久坂玄端にも追いつくまでになった」
- ジョン・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない!」
 動物であることを忘れた人間は、だめだ。狼に対する劣等感を忘れた男は、何物に対しても戦えない。
-佐々木中「足ふみ留めて」河出書房出版社
 必読著者の最新著作である。本当にこの人は面白い。 
 「『大きな物語は終わった』というのは、『われわれは物語に抵抗しなくてもいい』と他人と自分を洗脳して、闘争から自分だけはまんまと逃げだしたいと思っている連中の言い訳にすぎません
 ほんとに気持ちいいこと言うね、この人は。
-Earnest Hemingway, "The old man and the sea"

○ロシアからの天然ガスがこれから10年間の日本の生命線となるだろう。『緊急事態!」をいいことに石炭焚きまくりの時代には戻りたくない。サハリンでのプロジェクトに関与している三菱三井丸紅伊藤忠には死に物狂いで権益維持と安定生産を実現してもらい、できれば権益の持ち分を増やしてもらいたい。併せて、モスクワとの関係改善はまことに緊急の要請である。モスクワにとっての地政学的な脅威とはなにか?それをじっくりと考えて、モスクワと握手することができる点を探す必要がある。特に、手つかずのシベリアの油田・ガス田の開発への参画は、日本のエネルギー・ビジネスに関わる全てのものにとって最重要の案件となるべきだ。リビア、シリアの火がイスラエルvsイランに飛び火する時、日本は真っ暗になる。大局的・長期的見地にたったロシア外交が今ほど求められる時は戦後なかっただろう。

○皆同じ時間に出勤して、同じ時間に帰宅する。通勤の時間はIphoneでマージャンかテトリスをしている。阿呆か。製鉄所で鉄を作るのでもない限り、現在の知識労働者(と俺が言うのも恥ずかしいが)の仕事は、場所的拘束性から自由であるはずだ。仕事は脳を使ってやるものであって、情報と意思の疎通のためにはありとあらゆるインフラが整い始めているではないか。ウランを売り買いするのに箱根の山荘の書斎にいてはいけない理由などない。
9時に出社して21時まで仕事をして、それから酒を飲みに行って、一人でタクシーに乗って帰宅するなどという馬鹿げたエネルギーどか食いの生活はもはや許されない。それは、そもそも自然に適っていない。こんな生活をしていたら子供が少なくなるのも当然だ。
朝は太陽とともに目を覚まし、トレーニングと瞑想と読書を6時半までに済ませ、7時半に出社して午後5時には会社を出る。そして家で家族と沢山話をして議論をして、午後10時には寝る。たまには蝋燭だけの食卓というのも悪くない。テレビは我々を阿呆にしようとしている(ジョブズ)から見る必要はない。
IphoneとIpad全盛の時代に、一つの場所に皆が集まって仕事をしているなんてなんと馬鹿げていたことかと大笑いする時代が間もなく来るだろう。群れることは常に悪である。
この大震災をきっかけに、在宅勤務が一気に広がるだろうが、資源を無駄に使うことなく情報化社会の便益を最大限に享受してゆったりとした生活を送るためにも、働き方にも革命が必要だ。
それによって、地方にも富が広がるようになる。世界の富を東京だけが享受するという富の一極集中が変わる。人口が分散することによって災害への備えもしやすくなるし、都市機能にもマックスの負荷をかけずともよくなる。
駅に乗客を電車に押し込むため(だけ)の要員が配置されているという事実に、感覚を麻痺させてはいけない。これは異常な事態の静かな継続なのだ。