2011年4月5日火曜日

内村鑑三

ふいに、本棚に数冊並べている岩波文庫に目をやっていたら、内村鑑三「後世への最大遺物、デンマルク国の物語」が「読んでくれ、いま読んでくれ」と言っているように見えた。背表紙がね。
いまちらちらと赤線をひいたところを中心に読み返している。
メモによると、2009年の春に一度読了しているようだ。
こんなことがあるから、俺は本をまったく捨てることができない。

素晴らしい言葉がちりばめられている。
名言というものは、それだけ引っ張って来てもさして心を揺さぶるところ少なきもの多かれども、これを読んでくれた人の一人でもこの名著を手にとってくれるならば、俺のこの時間は無駄ではない。

「金を儲けることは、おのれのために儲けるのではない。神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則に従って、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんことを私は願う。」

「もし私に金をためることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。なんであるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
…思想のこの世の中に実行されたものが事業です。」

「文学は我々がこの世界に戦争するときの道具である。」
(佐々木中氏みたい)

「われわれが、五十年の生命を托したこの美しい地球、この美しい国、この我々をそだててくれた山や河、われわれはこれになにも遺さずに死んでしまいたくない。何かの記念物を遺して逝きたい。それならば我々は何をこの世に遺して逝こうか。その最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。これは本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にでも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」

「戦勝国の戦後の経営は、どんなつまらない実業家にもできます。難いのは、敗戦国の戦後の経営であります。国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民族であります。宗教といい、信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないのであります。しかしながら国に幽暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。」

プロテスタンティズムから近代資本主義が起こり、それが西欧列強を強大なる国へと成長させたのだが、内村という偉大な信仰者・教育者のこういう言葉に触れると、さもありなんとの思いが湧く。

独り言:

朝がとても気持ちいのいい季節で、ここ数日は毎朝渋谷で電車を降りて、原宿の交差点(ラフォーレがあるところ)まで歩きそこで右折して表参道の通りを南下して表参道駅に至りそこから外苑前まで歩く。
あと1カ月ぐらいかな。2か月もすれば暑くてこんなことはできないでしょう。
歩くのは本当に楽しい。
走ってしまうと、なかなか思索はできない。歌うこともできない。
だが、この時間帯の表参道付近は、人通りも少ないし、何より歩道が広い。少々歌おうが演説の練習をしようが問題なしだ。数キロ速足で歩けば身体はほどよく温まって、オフィスに着くころには完全にBattle Readyだ。しかも何故かやる気満々なのだ。歩くと。朝からたっぷり陽光を浴びることも身体にはいいだろうしね。しっかり御洒落をして、一人でいろいろと考えながら四本足で歩く。
みんな、満員電車から降りましょう。でもトレーニングウェアを着て「ウォーキング」をするのは絶対やめましょう。「歩くために歩いている人だ」と思われるのって、とてつもない恥ずかしい。「痩せるために歩いている」と思われるのは、もっと恥ずかしい。俺はあくまでも移動のために歩く。そのついでに、考えて、歌って、笑う。

○2万人近く(以上かもしれない)の人が突然の地震と巨大な津波でなくなった。
居た堪れないのは、これらの人々の恐らくほとんどの方が、大切な人への気持ちを伝える間もなく濁流に呑まれてしまったのだろうと考えることだ。それは、途方もなく辛いことだ。亡くなる瞬間、その寸前に、大切な妻や夫や息子や娘のことを思い、何かを伝えたいーそういう思いにかられた人は沢山いたはずだ。
それさえも叶わなかった。特攻隊の英霊は、丁寧に遺書を書くことができた。
夫は妻に毎朝「愛している」というべきか、そんなことは夫婦で勝手に決めりゃよろしい。
だけど、思う。
死は絶対に俺らの側にやって来るもので、確率は低くても明日突然俺の部屋のドアをノックしにやってくるかもしれない。
そうであれば、後悔はしたくない。思いを持って生きている人は、その思いを大切な人に伝えておくべきだ。いつも伝えるべきなのだ。そうでなければ、戦士の覚悟は生まれないのではないか?
俺は、このブログがあるから、俺自身の混じりっ気のない言葉がすでに沢山遺っている。ゴミの山かもしれんがね。実際のところ、何時からか俺はそういうことをこのブログに期待するようになったのだと思う。
背中で語るのもいい。でも、言葉はもっともっと強力だと思う。核兵器よりもはるかに。

寝ます。
最近温かくなったから二度寝をしない。
二度寝したいときには、大マルクスのように、「君は、なんために生まれたのか。寒い朝にも暖かい布団のなかでぬくぬくと眠るために生まれたのか。そうではないのか。で、あるならば、起きるがよい」(自省録)とつぶやく。効果絶大だから、是非やってみてくだせ。