2013年7月1日月曜日

六月の随想

○体罰を肯定する気はないが、だからといって自分がかつて誰かさんの不法な暴力行為の可哀想な被害者だったなどと認めるつもりもない。
部活動のベースボールを同級生たちと楽しもうという人たちにとっては、指導者の暴力行為はキャンプ場に出没したヒグマみたいなものだろう。キャンプをやっている場合ではない。しかし少なくとも俺には、誰かに殴られることよりはるかに痛々しいことがあった。それは敗北であり、仲間から諦められ、チームで用無しの人間になることだ。実際のところ、それはとてもとても痛いものだ。だから、俺にとっては高校野球での指導者の暴力は、キャンプ場に現れたヒグマではなく、せいぜい藪蚊ぐらいのものだった。ブィーンって飛ぶ、あのゼブラ柄の。
繰り返すが、体罰を肯定しているのではなく、体罰の影響はそれを受ける人間の覚悟によって大きく違いますよ、ということだ。


○北朝鮮の開城が世界遺産に登録された。ついでに共産主義といいながら世襲三代目というどうやっても説明のつかぬ、シーラカンスの如き独裁政権も世界遺産に登録して欲しいものだ。稀少価値として負けず劣らず。


○「イスラム唯一の民主主義」と言われたトルコは、ありとあらゆること(例えば小麦粉の値段)をエルドアン首相が決める準独裁体制だった。その一つの帰結が今の事態。対して、「悪の枢軸」(最早死語か?)のテヘランではすんなりと選挙で大統領が代わった。なんともしっくりこない。よう分からん。


○シリア内戦はシーア派とスンニ派の代理戦争の様相。織田信長が石山本願寺や叡山の僧兵を根絶やしにしていなかったら、日本でもドイツの30年戦争のような血みどろの宗教戦争が起きたかもしれない。ナチスの対ユダヤ政策もアーリア民族の優等という似非宗教に基づいていた。宗教が憤怒・武力と結びつくことの帰結は、恐ろしい。


○アメリカとの戦争に大日本帝国の国民と政府の全てが一丸となって邁進していくときに、「あの巨大なアメリカに勝てるのか」という疑問はあっただろう。そこで使われた宣伝が、「当時日本の国力の10倍の国力があったロシア帝国にも勝った。アメリカにだって勝てる。」というもの。巷間よく耳にする、「日本が戦後平和だったのは平和憲法のおかげ」というのは、「昔ロシアに勝てたんだからアメリカにも勝てる」というのと同じ。何が同じかって?根拠がなく希望的予想しかないこと。


○濃い群青色だった人間が、段々と沢山の水に薄められて青色になり、水色になり、やがて透明になる。誰とも交わることができるが、その実その人間に最早色はない。
日本は未だに全体主義の国だ。それは一つの在り方なんだろうが。だが、そこに暮らすホモサピエンスの在り方と、俺の精神の在り方にはなんの関係もない。
裕福な透明人間たるよりも、漆黒の貧乏人でありたい。


○6月26日に、同性婚を禁止する法律は合衆国憲法に違反するという判決を連邦最高裁判所が出した。
日本でもやがてこういう議論が始まることは避け難いように思う。
ふと疑問が浮かぶ。
同性婚はよいが重婚がだめだと言うことにまっとうな根拠はあるんだろうか?あるいは、兄弟・姉妹同士の結婚を否定する根拠はあるんだろうか?


○如月、水無月、神無月。なんと美しい言葉だろう。先人の言語にまつわる美意識に、時代を経た我々は全く到達していないんじゃないかと思う。まぁ、時代を超えてやってきた達人の言葉しか残っていないからというのはあるんだが。
月についていえば、ほとんどの欧米の言葉では、月を数字で表しはしない。ユリウス・カエサルのJulyがあり、アウグストゥスのAugustがある。日本古来の月の名を復活させてはどうですかね。JanuaryはFirst month=1月って、なんだかねぇ。そのまんまじゃないですか。


○船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」をほぼ読了。政権中枢で、福島事故の当時、関東全域の避難が必要かもしれないと真面目に考えられた瞬間があったことに改めて驚く。大東亜戦争の戦争指導と政策決定についてここまで圧倒的な取材力で細部まで書かれたドキュメンタリーがあれば、我々のあの戦争への現在の向かい方も、少し違ったものになるだろうにとの感を拭えず。
一番面白い一文はこれ。
福島第一の原子炉を冷やそうと関係者が不眠不休で頑張っているときに、菅首相がプッツンしてしまって怒鳴り散らしもんだから、ある人がメモにこそっとこう書いたそうな。
「菅に冷却水必要」。


○人間というのは、内容がなくとも忙しく走り回っていればとりあえず生きていけるらしい。それは兎も角、それが人間の自由だと言ってのける奴がいるならば、俺はいつでもそいつと清水ジャンプを敢行してやろう。


○たまにやってくる夕立が、祭りのようで楽しい。ズブ濡れになりながら自転車を走らせるあの人も、ちょっとした非日常を楽しんでいるに違いない。そのあと夜8時の快晴の空、なんとも味わい深い選手交代である。