2012年2月17日金曜日

生き物達の資本主義

ライオンがトムソンガゼルを喰らっているのを見ても、カメレオンが虫を喰らっているのを見ても、彼らを非道徳的だと非難する人はいない。
食われる方のトムソンガゼルや虫からすれば、ー少なくとも人間という立場から見る限りー、かなり悲劇的な出来事のように思われるのだが、自然も人間も、この弱肉強食の論理を当然のこととして捉えている。

資本主義の権化とも言うべき、ある商社で俺は労働者として働いている。
商社は、その活動領域の全地球規模であることと、扱う財/サービス、そして事業の形式の多様性において、最もよく資本主義という経済システムに適っていると言えるだろう。節操なく金儲けをさせたらとても上手い。
まぁ、ROEはあまり高くないとかなんとか批判はできるだろうけど。
しかし、よくもまぁ毎朝目的も分からずにそういう団体に毎朝遅刻せずに通ったものだと、自分の小市民ぶりに感動してしまうほどだ。

この社会において、俺は、畜生である。

資本主義というシステムにおいて、自己の利益の追求ーそれが他者の損失の上に成立するものであるかどうかは顧みられることはないーは、善である。いや、善であるということは正しくなくて、利益を追求しこれを獲得しなければ、ライオンが飢えて死ぬように企業も倒産する。そのため、企業にとって利益の追求は第一等の本能である。 善いも悪いもない。とにかく稼げ、とこうなる。まぁ、当たり前のことだ。
これが善であり、悪でないのは、ライオンがトムソンガゼルを喰うことが悪いことではないことと同じだ。

トムソンガゼルにとっては喰われることは嫌なことだし、マーケットシェアを失い倒産する会社にとっても敗北は嫌なことだが、しかしライオンがいないサバンナや会社は絶対に潰れない経済社会というのは問題だろう。 つまり、ライオンはガゼルを食うことによって、大いなる大自然の命の循環の一部を成し、資本主義的人間達は、競合する敵を叩き潰すために日々努力することで結果としていくらかは人間が作る社会の発展ー単に物質的のみの発展かもしれぬがーに寄与している。

資本主義は、人間の生の大部分の時間を占領することにより人間の生の目的を単純化し、それによって人間を畜生にする。なぜなら、ある特定の機能に特化した動物や人間のほうが、資本主義的世界では他に対して圧倒的に優位に立てるからだ。たとえば、ゴキブリだ。彼らは、他のどんな生き物もそこに暮らそうとは思わないような場所に暮らす術を得たことで、今や世界最強の生物となった。その意味で、極めて高度に分業化された資本主義経済は、その内に暮らす生物=人間の実態として、ジャングルに暮らす様々な動物達に類似的なのだ。こうして単純化された生は彼から非動物的な悩みを消し去り、卑しい充実と慎ましい物質的安楽を与えて富裕なる物質と貧困なる精神を備えた奴隷を創り出す。
顧客に利益を与え、WinWinの関係を作るなどと資本主義的企業が言うのは、その実どれだけそうではない商売をやっているかということの裏返しすぎない。

こう考えてみると、資本主義と自由主義経済を擁護したくもなる。なぜといって、それは動物としての人間の本性にとてもよく合致しているかもしれないのだ。人間の奥底には今もに競争・死闘への選好があって、今我々は資本主義的世界のなかで模擬的にこれを行っている。だがそれはあまりによく出来ているものだから、結構楽しくなってしまう人も多いのである。そして、それが楽しくならないと、資本主義の世界では勝てない。

上記は、資本主義について昼間にふと考えたことを記したのみで、資本主義を批判したものではない。まして、人間を批判したものでもない。あまり人間という一般的集団に関心はない。

上記が誤りであることを願わずにいられない。

ところで、日銀の日本国債保有が徐々に増えてきた。いよいよ平成の徳政令の準備が始まる。これは、「経済を好転させるため」という名目で行われ、結果として国民から政府への富の大移転が行われる。