2012年7月23日月曜日

ガッツポーズに美はあるか

かつて新渡戸先生は、「武士道は日本に固有の花である」と言った。

昨日の大相撲名古屋場所の千秋楽をみてこの言葉をしんみりと思い出した。

柔道でさえ、いまやJudoと化けてオリンピックで金メダルを取れば誰もが飛び上がって狂喜乱舞する。

人間の感情の発露を自由として認める時代傾向からすれば、横綱と大関の千秋楽の全勝対決を制した大関が、ガッツポーズするそぶりさえせぬことと、そのことを観衆も当たり前のこととして驚かぬことが相撲の驚異的なところだ。
この競技では、勝ち負けよりも大切な何かが未だに大切にされている。もしかしたら、それがゆえに八百長なんぞが起きたのかもしれない。

考えてみて欲しい。
佐々木小次郎と宮本武蔵の勝負の後、勝利した方がガッツポーズなんぞしてくれたら興ざめもいいところだ。
どちらが勝とうが相手の骸に頭を垂れ合掌した後静かに暗闇に消えて行く。
侍の在り方とはそういうものだろう。
ガッツポーズしたすぐ後に油断して刺客に殺されては末代までの恥だ。

勘違いして欲しくないのだが、俺は別にどこぞの古い頑固ジジイよろしく「ガッツポーズなんぞけしからん!」と言っているのではない。
これは美の問題、美意識の問題、矜恃の問題なのだ。

どんなに劇的な勝利であっても、どれだけ万感の思いが胸にあっても、それをぐっと内に秘めて相手に対して敬礼を表す。

世界にたった一つだけそんな競技があり続けたら、日本は過去において日本人が如何にあったを思い出すことができるだろう。チームに一人だけ何があっても顔色を変えぬリーダーがいたら、そのチームはどっしりと安定するだろう。

これを読んで納得がいかぬ人は、2009年の野球WBCの韓国との決勝戦で決勝のタイムリーヒットを打った後の2塁ベース上のイチローを見て欲しい。
俺が何を言っているか分かるだろう。
たまたま野球なのでヘルメットを着用しているから、完全に「勝って兜の緒を締めよ」になっている。

日馬富士関には是非来場所も制して横綱になって欲しい。
彼の武士の如き目の強さは格好良い。ああいうのを格好良いという。綱を締めるに相応しい風格、体格である。