2013年1月27日日曜日

笑って泣いて


笑った。
田原総一郎氏の理想の死に方である。氏曰く、「『朝まで生テレビ』の本番中、『どうも田原が静かだな』と思ったら、息絶えていたというもの」らしい。流石である。こういう想像力が人を惹き付けるんだろうな。
さて、俺もそろそろどう死ぬか考えておいてもいい年ごろである。人生60年だなんて思ってから大間違いだ。いつも格好良くありたいと思う。だが、死ぬ時に格好良くあれたら、それで全ては充たされるのかもしれない、とも思う。


泣いた。
昨年引退したプロボクサー、西岡利晃氏の話である(元第25WBC世界スーパーバンタム級王者)。
2008年、彼は31歳だった。彼はすでに4度の世界挑戦に失敗していた。年始に妻子とともに実家に帰省した際、「東京には一人で戻るわ」と突然いい、東京で単身生活を始めた。その時、一人娘は110カ月の可愛い盛り。彼は、世界王者奪取を宣言し、見事に2008915日に五度目の世界挑戦で王者となり、その後実に7度も防衛に成功した。その間、妻子と離れずっと一人で暮らした。
引退してから家族三人で東京駅を出る新幹線のなかで、6歳になった娘が言う。「パパがずっと家にいる生活ってどんなんかな。楽しみやなぁ。パパも楽しみやろ?」(以上は「文芸春秋」2月号8485ページより)
涙がポロポロ流れた。俺も涙脆いお婆ちゃんの孫だと感じた。
いつも家にいてテレビゲームばかりして家にいないと思ったらパチンコに行ってキャバクラで会った腐れ女とメールをやり取りしては妻にあっという間に愛想を尽かされる男も確かに生物学的には男なのだが、同じ男でもこういう本物の男もいるのだなと思う。
偉大なことを成し遂げるには、全てを欲しがっては駄目なのだ。腕は二本しかないし、一日は24時間しかない。秋山好古大将曰く、「男の人生は単純明快」でなければいかん。いい車もいい時計もいいスーツも大きな家に綺麗な妻も、それからちょっと教養も、なんていうどれだけ想像力のない人間でも希望するような人生を80年生きた後に残るのは、「そつのない、賢い人だったね」という程度の記憶だろう。
それは、虚しいじゃありませんか。