2011年6月25日土曜日

友人論

結婚して家庭を持つとなると、友人とともに過ごすことができる時間は極端に減る。
子供ができて、社会に枢要な地位を占めるようになれば、尚更旧来からの友人と会う時間は少ない。
いずれ書かないといかんと考えていた、俺の友人論を簡略ながらここに記す。

友を持ちたければ、「友なぞいなくてもよい」と思わねばならない。
これがまず最初の命題である。

「人生でもっとも大切なものは友である」

しかり、そうかもしれぬ。
これによって「友のいない人生はつまらない」などと考えてしまうことが、危険だ。
ニーチェに友が100人いたとしたら、俺はいま「ツァラトゥストラ」を読むことはできなかっただろう。友がいること、友といつでも酒を飲めることは、常に男の人生においてプラスであるとは到底言えぬ。

男の友人同士の関係は、独立した戦国武将の対等な同盟でなければならぬ。
将軍と外様大名の主従関係であってはならぬ。あるいは土曜日の昼下がりに愚痴を言い合い共通の友人のタブロイドネタで盛り上がる中年女同士の関係であってはならぬ。
そのためには、男は独立せねばならぬ。全てから独立せねばならぬ。
それは、当然に最も近しい友も含むことは論を俟たない。

大人の男同士の関係は、互いの意思がぶつかりあうところに生じる小さな爆発のようなものであるべきだ。爆発することができずマグマをためている一人の男が、同じように意思というマグマをぐつぐつと精神に漲らせている別の男と会い、それがぶつかりあって爆発する。
それが、一番楽しい。これは、男と女の関係では見出すことができぬ愉快である。
久しぶりに会う友に、心身ともにますます頑強になっている姿を見せて互いに競争しつつ成長していくのだ。

貴様は、「あいつだけには負けられぬ」という敵=友を持っているか?

独り言:

電車の車内広告である大学がこんなことを言っている。
「社会に役立つ人材を育成します」
あぁ、商業主義大学の広告宣伝だね。教育にで金儲けをしてたいそうなことだ。
大学という最高学府は、知識を求める人間が行く場所だ。それがこの大衆社会が来るところまできた現在にあっては、単なる学歴と技術と知識を得るために多くの者が通うテーマパークになった。
そもそも大学生はこう問うべきではないのか?
「『社会に役立つ』だと?そもそもその社会とはなんだ?社会なんぞあるのか?それは革命によって修正されるべきものではないのか???それ自体は正しいものなのか???」云々と。
全てを疑って、そのあとに自分の信じるものを苦しみながら見出していくということ。
それこそが、学生であることの特権であり、それさえできれば他は何もしなくてもいいのだ。
その過程で、我々は人間の幅を広げ、知識を得、歴史を知り、傲慢になり、他人を思うようになるのだ。
学生の教育に熱心な大学にだけは、俺の子供をやりたくないと思う。そうでなければ、俺の子供は勝手に自分の世界を作っていくだろう。
考えてみたほしい。スティーブ・ジョブスは、「社会の役に立ちたい」というよりも、「社会を(情報)革命で変えてやろう」と思い行動したればこそ、あれだけの事業を成しているのではないか?
ちなみに彼はスタンフォード大学の卒業式での演説で、「大学を入学から3カ月で辞めたことは、私の人生におけるもっとも素晴らしい決断でした」と言っている。大学を卒業する者たちを前にこうあっけらかんと言えるのは、なかなか気持ちが良いね。


虱レース by 石原莞爾

石原莞爾は、陸軍幼年学校在学中の折、機械式ペンシルの先に虱を10匹飼っていて、机の上にこいつらを出しては「虱レース」を楽しんでいたらしい。またあるときは、図画の授業のために提出する写生の題材に困った彼は、彼の股間の一物を写生して、これを「便所にて我が宝を写す」と題して提出したそうな。
最近会社の研修で講師が、「会社を(よい方向に)変えるのは奇人変人の類です」と言っていたために、今朝石原のことを想起して「秘録 石原莞爾」という本を本棚から引っ張り出したのだが、まぁここまでの変人はあまりおらん。
ところで、石原の部下の兵に対する愛には考えさせられるところ甚大なり。石原=最終戦争論だけではないよ。
石原は兵の教育についてこう述べている。
「猛訓練によって養われてきたものは、兵に対する敬愛の念であり、心を悩ましたものは、その一身を真に君国に捧げている神の如き兵に如何にして精神の原動力となるべき国体に関する信念、感激を叩きこむかであった」。
ある基地で連隊長を勤めていたときなどは、石原は日曜日などに兵営を訪ね、浴場を視察して、敬礼をする兵に対して、「敬礼はせんでもよい。湯加減はどうだ?」と尋ねもしていたそうな。そして、温かい風呂に兵が使って喜んでいるのを見て、彼自身もたいそう嬉しそうにしていたという。
今の会社に勤めて3年が過ぎ、俺より若いものと共に働くようになった。歳を重ねていけば、俺が弩阿呆でない限り、年下のものを部下として「動かす」ということが多くなる。そのときに、彼らの「精神の原動力」を俺はいかにして与えられるだろうか???
精神の原動力を増進せしめるために、その人への即物的な価値供与の多寡を決定する権限を自身が保持していることを以て脅迫するが如きは、人間における最低次元の者だ。俺はそこまでの鬼畜にはなりたくない。
チャーチルの多くの演説は、明らかに英国人の「精神の原動力」となり、あの苦しい戦いを勝ち抜く力となった。この日本の戦後最大の苦難の時に、日本の政治家の言葉は誰にも響きはしない。彼らは、何も信じてはいないのだ。
人の上に立つ者は、頭脳抜群の優秀な人間でなければならない。集団を率いる者が阿呆だと悲惨が起きる。だが、頭脳だけでは十分ではないのは明らかだ。人間としての大きさは、石原が兵の風呂を休日に視察して湯加減を確かめていたように、自分以外のどれだけ多くの人間の幸福安寧を、我がものとして思い遣ることができるかによって決まる。
ついでだが、石原は大正6年に「長岡藩士河井継乃助」という本を書いている。「どうも継乃助と石原は似ているところがあるなぁ」と感じていただけに、これは必読の書だ。

独り言:

「俺は...もう日本が駄目かと思った...だけど!そこに日本があった...!!」(東日本大震災後の空軍松島基地にて、長渕剛)
まさに、詩人だ。
破滅のなかでこそ起ちあがってくるものがある。
マーク・ローランズは繰り返し言う。
「最も大切なあなたは、あなたの大切なもの全てを失った時に残るあなただ」

弱きに対しては優しくあれ。
強きに対しては卑屈になるな。
善きに対してはこれを援け、
悪しきに対しては鬼であれ。

私心を捨て、正義を第一とし、大局的な視野の下に、時代の先の先までを洞察して判断を下し、ただ国家国民のために最善を尽くす。
ここにおいて、俺は誰にも負けたくない。それ以外は取敢えずどうでもいいや。

熱く生きたいと思った。社会の理不尽や嫉妬に懊悩することがあったとしても、現実が俺からみてどれだけ理想から逸脱しているとしても、俺は理想を捨ててはいけないと思った。
俺という個人が、俺の目標に対して資格十分の男であるかどうかを決定するのは、俺が死んでから誰かがしてくれるだろう。俺はそんなことには全然興味がない。俺は俺自身が信じる道を行くだけだ。
そして、仲間とともに血を沸騰させて涙を流して感動できる一瞬を諦めてはいけない。それは、現実から逃げるということではけっしてない。

最近、この歳になってー恥ずかしいことだがーようやく挨拶がきちんとできるようになったと感じる。
高校の時、二年下のある君の挨拶に驚愕したことがあって(15-16歳の少年の挨拶にしては出来過ぎていた)、爾来それを目標にしてきた。
海外でよく目にするのは、日本人の変な挨拶だ。「Good morning」とホテルのスタッフに言えない(目を見て言わない)、食事を持ってきてくれたウェイターに対して「Thank you」と言えない、その他沢山。
コンビニで「袋はいりません」と言うときに、なぜああも多くの人が目線も合わせずに言うのか俺にはよく分からん。丁寧に袋に入れてくれたら「ありがとう」の一言ぐらい言ってもバチはあたらんだろう。
相手の目をみて目礼をする、「こんにちは」という、それは人間関係の始まりの最も大切なことだと思う。
先日会社である幹部が、「まぁ(経営方針などについて)いろいろ言いましたけどね、皆さん、挨拶をしましょうよ。廊下ですれ違う時に、声に出さなくてもいいけどね、小さく会釈をするとかね、できるじゃないですか」と言っていた。あれはいい発言だった。それ以外はどうでもいいことと当たり前のことの陳列でみんなして睡眠していてもいいくらいだったけれど。


2011年6月8日水曜日

Sevilla, Spain!

初めてのスペイン。仕事でこんな国を訪ねることがあろうとは。
MadridのAtocha駅。 気温は30度を越えていて、かなり暑い。






スペインの新幹線”AVE”。
グリーン車(?)に乗ると弁当とワインが出てくるのだが、お腹いっぱいだったので食べず。

車窓から眺める風景は単調で、人影も少ない。まぁ、広い国土のうちの新幹線が走っているところを眺めただけだが。

川も少なく、土壌は乾燥し、この土地が大規模な人口を養うことはできぬ土地であることは明らかだ。だが、同時に降り注ぐ強い陽光は、太陽熱発電・太陽光発電の基地として魅力的だし、人口が過密状態ではないために多くの場所で風力発電を行うことができるだろう。






”AVE”でマドリッドから南西に向かって田園風景のなかを2時間半揺られると、Sevilla。

これは、グアダルキビール川。この川の名はアラビア語で、「大いなる川」を意味する。
この川が、この街と大西洋を繋いでいる。
どの都市へ行っても、川に行くのが好きだ。ロンドンはテムズ、パリならセーヌ。俺の故郷は高梁川。古いところでは古代の四大文明はいずれも大河川を擁した。

水上交通、肥沃な土地、海洋への連絡。全てが都市を形成するのに必要不可欠なものだ。

はるかな昔から、この土地の人々はこの川とともに生きてきたんだなぁと思いながら流れを見つめてぼけっとしているのが大好きだ。



この街は、スペイン南部の中心都市で、アンダルシアの州都でもある。セビリア都市圏の人口は130 万人ほどでそれなりの規模だ。ちなみにローマ五賢帝の一人、ハドリアヌスはこの街の生まれなんだって。
細い路地を抜けていったところに見つけた居酒屋のようなレストランの屋外の席から教会を写す。



8世紀からイスラムの支配を受けたこの地域は、西欧ではあるが、イスラムの強い影響が残っている。というよりも、人々の顔つきがかなりアラブ人に近い。15世紀後半にレコンキスタが完了すると、いよいよ新大陸に進出し、セビリアはアメリカとの貿易と独占して以後2世紀に渡って繁栄した。


昨日の夜のAreva主催のFarewell夕食会にて。牛がいました。マタドールもいました。




なんで赤い布に突進するのだろうか。




がんばれ牛さん!

ちなみに、牛さんはちゃんと最後は自分のお家に帰っていったのでご安心を!
で、食事の最後にはお待ちかねのフラメンコ!





これには、感動した。
アンダルシア地方の女性はいまでもほとんど全員がフラメンコを踊れるそうな。
女性二人と男性一人の踊り手の、恍惚感にあふれた表情がとても印象的で、会場にいた200人くらいの観客は総立ちになって拍手を送った。

失業率が20%だの財政赤字がどうだのとユーロがどうだのと日本と同じくらいに問題を抱えるスペインだが、フラメンコがある限り問題なさそうだ。
踊り歌うことは、常に論理を超越している。
国が光り輝くのは、その国の歴史の豊穣さにおいてなのだろう。
我々は何者であるのか、何者であったのか。フラメンコほどそれを烈しく語るものはないのかもしれない。

2011年6月5日日曜日

Pont Neuf, Paris!

夜、と言っても22時まで明るい。
母親がスペイン人だという陽気なオールバックのタクシードライバーのおじさんが150kmで飛ばすMercedez C classの後席で、これまたノリノリのスペイン音楽を聴きながらシャルルドゴール空港からParisの街へ。
仏語がぺらぺらになった小カストロこと不藤とMonparrnasseという街の小さなArzentine料理屋で晩御飯。二人で650gの肉の塊とチリワインを少々。しかし西洋人てなんであんなに食べるんだろう。



22時まで明るい初夏のParis。次に二人が向かったのは...???

そう、新橋!すなわち、Pont Neuf!



倉敷の兄貴のレストランの名前の由来となった橋。この橋の下は賀茂川と高野川が合流する、京都の通称”デルタ”のような中州になっていて、3分歩けば巨大なルーブル美術館。
石畳に俺のChurchの足音が響いていた...というのはうそで、おりからの小雨で少し肌寒く感じた。

いやー、始めてポンヌフを渡って満足満足でした。ごっつい橋でした。
岩倉具視辺りがかつてこの辺りをみて、「こいつぁすごい」と唸ったんだろうな。


Pont Neuf駅というのもあるんですな。 知りませんでした。



こういう裏通りに色気があります。京都の木屋町なんかもそうです。

この街は渋い。東京のように、「スポーツクラブやってます!!!」という看板なぞほとんどない。


ほんの数時間のParis散歩だったが、また来たくなった。
それにしても大陸はよいな。BMWさえあればどこまでだって走っていける。
新婚旅行は是非欧州を縦断したいと思う。始発、フリースランド。終着、マドリッド?



台北で大樹と台湾ビールを飲み、Parisで不藤とワインを飲む。
旅慣れぬ俺は、観光でも旅でもない出張の合い間のこういう一時が、たまらなく好きだ。

不藤、ありがとう!


2011年6月4日土曜日

肉ではなく、魂を

成田を出てソウル、インチョン空港に向かう大韓航空の一番右の座席から、機の右手の遥か眼下に立山・日本アルプス連峰と思われる山々を見つめながらこれを書き始めている。
実に、この山桜ブログから遠ざかること久しかった。皆が遠ざかることはもっと久しかったのだろうと思う。


何をしていたかというと、何もしていなかった。
身体も精神も全てある一人の女性に向かって一直線に飛ぶ那須与一の矢のようになり、彼女こと以外を考えることが全くできなかった。
2ヶ月の間、ずっとだ。ずーーーーーーっと。


こんなことをここで告白することは、少し恥ずかしいことかもしれない。いや、絶対にそうだろう。だからこそずっとブログから遠ざかっていたわけで。

だが、生きるだ死ぬだ戦争だ思想だのを一年間に渡って綴ってきたこの場所で、俺が彼女のことを話さなければ、俺はもはやこのブログを閉じるほかないと思った。 そして俺はこのブログを閉じたくはないのだ。
これまでの百数十の記事の全てに共通している唯一つのことは、俺が考えていること感じていることを素直に100%書き記すということだ。
その点において、このブログは他の何かの便利に役立つようなブログなどとは隔絶しているというのが俺の自負であり、自己満足だ。
そうであれば、俺が今彼女について、彼女と俺について書くことなく、復興計画やドアホウ首相の迷走ぶりについて議論することは、キャンプを狼の群れに囲まれた家族が「このステーキおいしいね」と恐れ戦きながら晩御飯を食べているようなもので、どうにも腰が落ち着かぬ。


百人の読者もいないブログだが、この一年で俺は俺の言葉が誰かにとって光明であり得る可能性を知ってしまった。もちろん、誰かにとっては毒であるやもしれぬ。
だから、書き続けたいと思うし、そのために上の理由で彼女のことについて書かざるをえない、そういうやむにやまれぬ必然性があっての下記の駄文であることを先に断っておきたいと思う。

昔、恋愛を馬鹿にしていた。特に学部生のときは、ことさら激しく。
「付き合って下さい」「はい、付き合いましょう」という軽薄な口約束に(軽薄ではなかった人たちへ:ごむぇん)虫唾が走り、ゼミの友人だのが誰と付き合っているだのどうだのという会話を昼食の1時間ずっと続けられる人たちが存在することに絶句した。
はっきり言えば、恋愛なんぞというものは、この個人主義万歳のクレイジーな時代にあって、肉欲と自己愛を道徳的に充足するために方便でしかないと見限っていた。(11月のブログ参照)
だから、そういう「恋愛ごっこ」のごときものをしている人とは、矢張り友達になれなかったし、今でも付き合いが深い友人は、多くの場合大学時代に彼女がいなかった男が多い。
孤独に自分を縛っていた時間をわずかでも持っている男の目は、輝きが違う。


とどのつまり、現代の恋愛とは、「私的なもの」だという観念を俺は捨てられなかったのだと思う。
我々がテレビドラマなどで洗脳されてきた、段階的な恋愛の発展形態の最終的なステージが、セックスという肉欲のぶつかり合いでしかないことは重大な意義を持っていた。
肉欲を開放しそれを充足することが恋愛の最終的な形態であるとすれば、そしてそれが我々「幸福ジャンキー」にとっての至高の価値であるとすれば、生命を保存するという最も根本的な本能に打ち克って戦った俺の英雄達は、ただのかわいそうな「戦争の被害者」になってしまう(実際にそうされている)。
こうして我々は、恋愛を賛美して戦争と英雄達を貶めたのだが、それは実は自己を貶めるということに他ならなかったことに気が付く人は少ない。

公的な事柄において、雄雄しく戦うのが男であり、そういう男を尊敬して愛するのが女性であるという理想を俺は放棄しない。俺が尊敬する男は、皆そうだからだ。
戦後における恋愛というものは、自己の欲求をよりよく満足させることと何が違うのか?と俺は考えていた。戦後日本に蔓延した民主主義・個人主義という包丁で、恋愛という腐臭を放つ魚を捌いてみれば、まな板の上に転がり出てくるのはドロドロした「我欲」以外にはないのだ。
映画「失楽園」の、中年の男女が日常の世界から逃避して、セックスに耽って挙句に服毒自殺(だったよね?)という世界観、それが多くの観衆をひきつけたということは、俺を十分過ぎるほど落胆させた。中年のおばさん達が、現実から映画館のなかでだけ逃避して悦に入って、「あぁ、私もあんな燃えるような恋愛をしてみたい」と思っているのだろうか?と考えただけで、吐き気がした。

セックスを含めた恋愛の無条件の賛美とは、つまり戦後における個人の欲望の無条件の肯定(及びその裏返しとしての公への奉仕の蔑視)と同義であり、それは当然に戦前・戦中を否定して、日本の歴史を断絶するものであると思われた。俺の言動の一貫性を保持しようとすれば、俺は関学で可愛らしい日傘を差して歩くどこぞのお嬢様を捕まえて懇ろになることなど、考えられぬことだったのだ。

だが。

(だが、と言ってしまったからには、ここから俺は恋愛を肯定せにゃならんわけだ。
ここからが、これまでの俺との違い、かな?)

上のように言ったとしても、しかし、我々人間は、恋愛を断固として肯定できる。
恋愛を肯定するというよりも、人間個人の意思の発現の一形態として、これを我々は肯定することができるように思う。
私的な肉欲の充足なんぞに満足せず、さらなる高みへと登っていく恋愛が有り得る。
公的なもの...それはなんだろう。とりあえず、「我欲」を超え出て行くものだと理解するべきだと思う。もっともっとも大らかで、寛大なものだ。
性欲の満足、安全、自尊心、そういう小さなものを超えて、その女性の裡に自分以上の価値を見出すことができるか。
その女性の向こうに自分が暮らす世界を見出すことができるか。

恋愛において「生命尊重以上の価値」(三島由紀夫)を相手のなかに確認することができぬあらゆる”恋愛”は、弱きものの同盟であり、慰み者達の避難所である。
混じりっ気のない恋愛の只中にあって、男が獲得するものは「俺はこの腕のなかに俺より大切なものを抱いている」という栄誉である。この時男が抱くものは、肉ではない。彼女の魂である。
恋愛が永遠の相に進入し始めるのは、まさにここにおいてに他ならない。肉を抱いているだけの”恋愛”では、肉滅びれば即ち愛も滅びる。
論理必然的に、肉が衰退すれば(お互いが年をとれば)、その恋愛は終わる。

そこら中の夫婦にあって、結婚が続いていても恋愛がとうの昔に終わっているのは、こういうことだろう。

そして、自分がそういう大切なものを守らねばならぬ天命を与えられた男だと自覚するとき、男の命はカタパルトにすえられ射出準備の整った空母上の戦闘機となる。近づくと危険だ(うそです)。
エンジン(魂)は暖められ、見渡す限りの海原へ一騎駆け出し天空を目指すための勇気は、この「自分を超える価値」がもたらしてくれるものであって、自分のためだけに勇気を振り絞って戦うことができる男は単なる戦闘狂か仕事中毒者だ。


俺と彼女がこれから生きる時間のなかで、楽しいことが沢山あるだろう。もちろんそれはそうだ。
だが、俺ら二人は、別に輝かしい未来のために、結婚するのではない。
俺ら二人は狼である。サルではない。
将来二人でいたら楽しいから結婚しようと思うのではない。もちろんそんなことではない。彼女との関係は投資ではない。

彼女は、彼女自身でこの瞬間に俺が守りたい全ての価値を体現している、否、その価値そのものなのだ。

これまで、「俺の命は俺を超える価値のために与えられた」と思って生きてきた。というより、こう思えばこそ、これまで生きてこられた。大学で野球と決別してからは、それが何なのかを一人で必死に探索し続けた。このブログにしてからが、そういう俺の取るに足らぬ努力の末端を示している。

俺は、これを見つけた。

自分の目の前にいる人が、自分を大切に想ってくれる人が、自分の全てを投げ出してでも護りたい人である---俺の足りない想像力では、人間という生き物の人生において、これほどの天佑は考えられない。

これは天佑である。
俺にこんな奇跡が起きたことを不思議に思い、天の見えざる力を畏れ、御先祖様に感謝する。

俺と世界にとって、彼女は、人間の真善美を一身に体現して輝く強烈な一個の光である。
彼女は、日本という文明が、弐千年(2000年)をかけて培ってきた、大和魂の結晶である。

以上、インチョン空港14番ゲート前の無線LANスポットより、単なるノロケ話を山桜のリズムでお届けしました~(と最後にボケておくぐらいの平静は保っています!)

みんなよい週末を!


2011年4月22日金曜日

戦略論必読文献

クラウゼヴィッツ「戦争論」
いわずとしれた知らぬものはおらぬ戦略論の原典。「戦争とは政治とは異
なる手段による政治の継続である」、「戦闘とは、相手方に我が意思を強
要することを目的とした実力の行使である」云々。

マハン「海上権力史論」
セオドア・ルーズベルトの大艦隊主義を理論的に支えた海軍戦略に関する
不朽の名著。著者は秋山真之の米国留学時代の先生。

リデル・ハート「制限戦争指導論」
英国陸軍軍人として第一次、第二次大戦に参加した著者の代表的著作。敵
の抵抗が最大となる敵正面ではなく、例えば第一次大戦緒戦におけるドイ
ツの、ベルギーを突破して仏の北翼を攻撃したような、敵の物理的な殲滅
ではなく「錯乱」を創出すること、それによって敵の指揮中枢を麻痺させ
ることを目標とした。チャーチルの戦争指導に対する批判は下記のフラー
と一致する。第二次大戦においてヒトラーが戦車の集中的運用による電撃
戦によって連合国をパニックに陥れたことは歴史の皮肉か。

フラー「制限戦争指導論」
リデルハートとの違いを研究中。

ドゥーエ「制空」
南はイギリス地中海艦隊、北を急峻なアルプスにより中欧・西欧から隔て
られた後進国イタリアに現れた空軍万能論者の著作。迅速に火力を直接敵
の防衛拠点・市街地に投入することで総力戦争を支持する国民の士気を萎
えさせることができると言ったが、歴史はこの反対の事例に満ちている。
航空機の発達の時代に各国の戦略・戦術担当者にた与えた影響は甚大。

石原莞爾「最終戦争論」
日本が生んだ数少ない思想家にして夢想家、宗教家の名詞代わりの一冊。
石原にとっての海=太平洋=日本とアメリカを隔てたものの意
味を問いたい。なぜなら、されは「歩けない場所」だから。日蓮に帰依し
た歩兵たる石原は、中央アジアに発した人類はあるものは東へ進み日本に
至り、またあるものは西へ進みアメリカに至ったと考える。両者は西欧の
覇道と東洋の王道でおって最終戦争を戦い、そののちに世界の精神は統一
され世界平和が訪れるとした。石原が陸軍ではなく海軍を選んでいたら、
彼は世界をどう理解しただろうか。満州事変の主謀者なるも、その目に
写ったものは狭い日本なぞはるかに超えていた。
ドイツのハイパーインフレ時代にベルリンに駐在したため、ナポレオンや
フリードリッヒ大王に関する著作を安く大量に収集できたそうな。

野中他編著「戦略の本質」
石津朋之「戦争論概論」(講談社現代新書)

2011年4月18日月曜日

暗闇を歓迎する

東京が暗くなった。俺は大歓迎だ。もっと暗くてもいいぐらいだ。
暗闇があるといつでもそこに身を隠すことができるし(まぁ、同様に悪者が潜んでいる可能性もあるが、そこは危険を察知する動物の本能を研ぎ澄ませよう)、何より夜に昼のように明るくないからよく寝られるようになった気さえしている。
実際のところ、外苑前の会社を出て渋谷まで歩く時の246号線の暗さは明らかで、こころなしか東京の月の輪郭が以前より判然とするようになった。
寝る直前まで蛍光灯の光がギラギラと照っていては、なかなか寝ようとはしないし、そうして起きている間に人々はくだらんお笑い番組を見ているのだ。特別面白いとも思わずに、ただなんとなく。それが人生の無駄であることを忘れながら。それで浪費される電気だって、合計すれば結構な数字になってGDPを押し上げるのだから、我々はいい加減にGDP信仰を疑うべきだ。
思えば、俺は昔から薄暗い場所が好きだった。一人暮らしをするようになってすぐに間接照明の小さなライトを買って、大学と大学院の六年間、夜家で一人で過ごす時にはいつも小さなこのライトだけで読書も食事もした(これを書いている今もそうだ)。普通に考えれば、蛍光灯の真っ白な人工的な明かりの下で、一体どれだけの偉大な思想の書が書かれるというのだろう。そりゃ無理というものだ。人間には何を行うにも適した環境というものは確かにあって、ヘーゲルだってマックス・ヴェーバーだって、パチンコ屋の騒音と明るさのなかではどんな思索もできなかったに違いない。
だから、節電などと言わずに、今までより少し暗い生活を楽しもう。もしかしたら蝋燭の薄明かりの下ではあなたの妻がオードリー・ヘップバーンに見えてくるかもしれない。
薄暗いところにいると早く眠たくなるから、日付が変わる前にさっさと眠ってしまう。自然、朝は早く目が覚める。朝は瞑想に最適の時間だ。
大人の男は、少し暗いバーのほうが似合うのだ。煌々と電気の光が灯るファミリーレストランかマクドナルドしか似合わないガキのような男になってはいけない。

独り言:

○「だるい」「面倒くさい」「疲れた」
これらの言葉をたぶん過去10年以上言っていない。
街で「あぁ~超疲れたんだけど」と言い合う男子高校生。
電車で空席を見つけると即座に座ってゲームを始める大学生。
喫茶店で「あー疲れたぁ」と言いあうサラリーマン。
いつから男が「疲れた」だの「だるい」だのと言うことが許される時代になったんだろうか。
昔の男は(少なくとも俺のオヤジは)こんなことを絶対に口にしなかった。
自分がやがて数十万の軍を率いると一度でも考えたことがある男は絶対にこんなことを言わぬ。
そんなことを言った瞬間に、兵は一人たりとも自分の命令に従って動くことはないだろう。
男が思ったことを全部口から出してしまうことが許される社会というのは、なんと幼稚な社会だろうか。

○長渕剛が、東北の被災地を訪ねて、「本物の歌手の歌を聞いてください」と言って、「とんぼ」などを熱唱した。
炊き出しに行く芸能人は多いが(それ自体は素晴らしいことだ)、彼のようにギター一本抱えて「俺には歌しかねぇ」と言って自分の喉で打ちひしがれた人たちに何かを伝えたいと思って行動する男は少ない。こんな状況で、津波で崩壊した街で歌うことが「似合う」歌手など長渕剛以外にあり得ない。そこらへんでしょうもないラブソングを歌って小遣い稼ぎをしている商売歌手達は、この国難に直面して語る言葉も全然持たない。
長渕剛は、いつも苦しんでいる誰かの為に(たぶんまず自分のために)歌っている。その歌は、曲であるよりもまず彼の思いがこめられた詩である。だからこそ、こんな悲惨な状況のなかでも彼はー彼だけはー歌うことができるし、人々に彼の歌と思いはまっすぐに届く。
今日本が求めているのは、AKB48の踊りではない。長渕剛の魂の砲声である。長渕剛の「俺には歌しかねぇ」という壮絶な覚悟は、男として最高の尊敬に値する。
危機において最も輝く男になりたい。平和な時代は桑を持ち、有事にあっては采配を振るう。そのためには平和な時代から常に有事のための鍛錬と勉強を欠かしてはならぬ。
「男の身体と精神は、常に危機に向かって振りしぼられた弓のように緊張していなければならない」(三島由紀夫)。

○最近サボり過ぎだ。ちびちびまた書いていこうと思う。色々と賑やかでね身の周りが。正直言って勉強が少々不足もしている。岸本「バーク政治思想の展開」を手に入れたので、じっくり読む。
ついでにGW末までに、トインビー「歴史の研究」、カーネギー「人を動かす」、マキャベリ「君主論」、ヘーゲル「歴史哲学講義」を再読するつもりだ。今年の後半は、再読・精読に力を入れて自分の畑を深く耕して行きたいと思っている。
多読も俺のような若輩には大切であるが、知識を腹で溶かして自らのものとするような、そういう勉強の仕方も必要だと感じる。骨太の人間になるには、避けては通れない。


2011年4月5日火曜日

内村鑑三

ふいに、本棚に数冊並べている岩波文庫に目をやっていたら、内村鑑三「後世への最大遺物、デンマルク国の物語」が「読んでくれ、いま読んでくれ」と言っているように見えた。背表紙がね。
いまちらちらと赤線をひいたところを中心に読み返している。
メモによると、2009年の春に一度読了しているようだ。
こんなことがあるから、俺は本をまったく捨てることができない。

素晴らしい言葉がちりばめられている。
名言というものは、それだけ引っ張って来てもさして心を揺さぶるところ少なきもの多かれども、これを読んでくれた人の一人でもこの名著を手にとってくれるならば、俺のこの時間は無駄ではない。

「金を儲けることは、おのれのために儲けるのではない。神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則に従って、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんことを私は願う。」

「もし私に金をためることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。なんであるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
…思想のこの世の中に実行されたものが事業です。」

「文学は我々がこの世界に戦争するときの道具である。」
(佐々木中氏みたい)

「われわれが、五十年の生命を托したこの美しい地球、この美しい国、この我々をそだててくれた山や河、われわれはこれになにも遺さずに死んでしまいたくない。何かの記念物を遺して逝きたい。それならば我々は何をこの世に遺して逝こうか。その最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。これは本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にでも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」

「戦勝国の戦後の経営は、どんなつまらない実業家にもできます。難いのは、敗戦国の戦後の経営であります。国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民族であります。宗教といい、信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないのであります。しかしながら国に幽暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。」

プロテスタンティズムから近代資本主義が起こり、それが西欧列強を強大なる国へと成長させたのだが、内村という偉大な信仰者・教育者のこういう言葉に触れると、さもありなんとの思いが湧く。

独り言:

朝がとても気持ちいのいい季節で、ここ数日は毎朝渋谷で電車を降りて、原宿の交差点(ラフォーレがあるところ)まで歩きそこで右折して表参道の通りを南下して表参道駅に至りそこから外苑前まで歩く。
あと1カ月ぐらいかな。2か月もすれば暑くてこんなことはできないでしょう。
歩くのは本当に楽しい。
走ってしまうと、なかなか思索はできない。歌うこともできない。
だが、この時間帯の表参道付近は、人通りも少ないし、何より歩道が広い。少々歌おうが演説の練習をしようが問題なしだ。数キロ速足で歩けば身体はほどよく温まって、オフィスに着くころには完全にBattle Readyだ。しかも何故かやる気満々なのだ。歩くと。朝からたっぷり陽光を浴びることも身体にはいいだろうしね。しっかり御洒落をして、一人でいろいろと考えながら四本足で歩く。
みんな、満員電車から降りましょう。でもトレーニングウェアを着て「ウォーキング」をするのは絶対やめましょう。「歩くために歩いている人だ」と思われるのって、とてつもない恥ずかしい。「痩せるために歩いている」と思われるのは、もっと恥ずかしい。俺はあくまでも移動のために歩く。そのついでに、考えて、歌って、笑う。

○2万人近く(以上かもしれない)の人が突然の地震と巨大な津波でなくなった。
居た堪れないのは、これらの人々の恐らくほとんどの方が、大切な人への気持ちを伝える間もなく濁流に呑まれてしまったのだろうと考えることだ。それは、途方もなく辛いことだ。亡くなる瞬間、その寸前に、大切な妻や夫や息子や娘のことを思い、何かを伝えたいーそういう思いにかられた人は沢山いたはずだ。
それさえも叶わなかった。特攻隊の英霊は、丁寧に遺書を書くことができた。
夫は妻に毎朝「愛している」というべきか、そんなことは夫婦で勝手に決めりゃよろしい。
だけど、思う。
死は絶対に俺らの側にやって来るもので、確率は低くても明日突然俺の部屋のドアをノックしにやってくるかもしれない。
そうであれば、後悔はしたくない。思いを持って生きている人は、その思いを大切な人に伝えておくべきだ。いつも伝えるべきなのだ。そうでなければ、戦士の覚悟は生まれないのではないか?
俺は、このブログがあるから、俺自身の混じりっ気のない言葉がすでに沢山遺っている。ゴミの山かもしれんがね。実際のところ、何時からか俺はそういうことをこのブログに期待するようになったのだと思う。
背中で語るのもいい。でも、言葉はもっともっと強力だと思う。核兵器よりもはるかに。

寝ます。
最近温かくなったから二度寝をしない。
二度寝したいときには、大マルクスのように、「君は、なんために生まれたのか。寒い朝にも暖かい布団のなかでぬくぬくと眠るために生まれたのか。そうではないのか。で、あるならば、起きるがよい」(自省録)とつぶやく。効果絶大だから、是非やってみてくだせ。