2010年12月4日土曜日

国防の論点

日本人が誇りある国家を維持するために必要な、将来のために議論すべき安全保障政策における論点:
あくまでも、「将来のために」であるから、たとえば「日本には戦闘機を空母から射出するカタパルトを作る能力がない」などと批判せぬように。それはとりあえず枝葉のことだ。
今般の朝鮮半島危機への対応について、自民党などの野党は「危機管理がなっとらん!」と民主党政権を批判していたが、根本的な国防についての議論が、これだけ重大な事態が起きた後でさえ始まりそうにない。この国は、正しく、ヤバい。

一つ、徴兵制を導入すべきか否か
一つ、現有の限定的な対地攻撃能力に加え、潜水艦発射型および水上戦闘艦発射型の対地攻撃ミサイルを保有すべきか否か
一つ、航空母艦を導入すべきか否か
一つ、核兵器及びそれを運搬するシステム一式を導入すべきか否か
おまけ、憲法を改正し、自衛隊を「日本国海軍、空軍、陸軍、(海兵隊)」とすべきか否か(議論の余地なしと認む)

俺は6年前からずーーーーーっとこれらを言い続けてきた。
ある時などは、姉貴から、「核兵器を持ったら核兵器で攻撃される!」と意味不明かつ歴史的にもなんら立証されていない頓珍漢極まりない暴言によりヒステリックに非難された。(あれは少しショックだった。俺は大まじめなのに家族にさえ理解されぬ!と青臭く自虐的になったもんだ)
(事実:歴史上、核による攻撃を受けたのは、核武装していなかった日本のみ。最近では、核実験をした北朝鮮は生き延びて、核兵器を持たなかったイラクのフセイン政権は打倒された)

で、上のように言うは何故か?

・日本は民主主義の国だ。平等な国だ。少なくとも建前は。
であるならば、国防の責務は総ての国民が平等に分担してしかるべきだろう。だから徴兵制を敷くべきかもしれない。議論の余地は十分にある。

・対地攻撃能力を保有しない国は真の意味で「抑止力」を持ち得ない。弾道ミサイルによる攻撃に対する報復攻撃を単独で行えないならば彼我の間に相互抑止は成立していない。
戦闘を、「我が意思を相手側に強制することを目的としておこなわれる実力行為」と定義するならば、意思的・能動的に運用しうる打撃力こそが抑止力の本質であり、抑止力こそが軍事力の中核とされるべきである。
今日の戦争においては、その極めて高精度の兵器投射能力とそれが依存する情報ネットワークへ重要性と脆弱性のために、核兵器ほどではないにしても、先制攻撃を行う側が極めて有利に戦争を戦えるのではないかと思う。
クラウゼヴィッツのいう「絶対的戦争」は蘇るのか。それとも、これから東アジアで起こりうる戦争とは、政治に従属した、政治の手段としての戦争にとどまるのか。我々は、大局的な視点からこれを推察し以て将来の国防の備えとなさねばならぬ。

・近隣の大国が空母を運用することは時間の問題だろう。米海軍のレベルに至るには未だ数十年を要するとしても。空母艦隊が持つ戦術・戦略上の意義とはなにか。
それはまず、圧倒的な空間支配能力であり、次に対地攻撃能力を伴う兵器システムが海上を自由に移動しうる機動性である。海上を自由に移動する空母は、その名の通り航空機を搭載する。米軍の空母一隻には30機程度のF/A-18スーパーホーネットが搭載されているが、この戦闘攻撃機による行動半径は実に数千キロに及ぶ。同時に空母は、多くの対地・対水上攻撃用の兵器運用のための海上移動基地とも言うべきであり、沿岸国からしてみれば、敵性国の空母が近海に遊弋するということは、自国の隣に突然敵の航空基地ができてしまうようなものだ。巡洋艦・駆逐艦からなる艦隊と、米海軍の空母打撃群はこの点において同じ「船」であっても決定的に異なる。だからこそ、米国は世界のどこにでもいつでも空母を派遣できる態勢を未だに維持しているし、有事があればワシントンのオバマ大統領は、「一番近い空母はどこにおんねん???!!!」と尋ねるのだ。

・中国、北朝鮮、ロシア、アメリカ、日本は四つの核兵器保有国に囲まれている。この状態にあって、「日本は唯一の被爆国だ」と言う奴はクレイジーだ。あってはならぬことだが、もし三度目の悲劇が起きたとして、それでもその人は「日本は唯一の被爆国だ」と言えるだろうか?
最大の問題は、「核武装すべきだ」と言った途端に、この国の政治家は政治生命を脅かされることになるということだ。それが自由な民主政治の国のあるべき姿か?政治に教義も至上の法典もない。
守るべきものは、我らの国の未来。たとえそれが悪魔との契約を必要とするものであったとしても、この目的の為に、あらゆる手段は道徳的である。

今の日本は、戦前戦中の「天皇陛下万歳」と「鬼畜米英」を「平和憲法万歳」と「核兵器廃絶」に置き換えただけなのだ。
何も変わってはいない。何も。(誰の真似でしょう?わかるかな~)