2012年11月19日月曜日

フォークランドと尖閣


俺が生まれた年に1982年は、国際政治上の出来事で言うならばフォークランド戦争の年である。アルゼンチン東方の海上に浮かぶ英領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)にアルゼンチン軍が上陸したことをきっかけとして、「鉄の女」サッチャーは、英国より攻撃型原潜と空母を含む艦隊を南大西洋に派遣した。ミサイル時代の西側対西側、先進国対先進国の戦争ということで、戦術的にも非常な注目を集めた戦争であった。勝利した英国側も600名以上の兵士を失い、アルゼンチンはそれをはるかに超える犠牲者を出した。

この紛争は、尖閣諸島をめぐる日中の対立と一見似ている。
尖閣では未だ戦争が起こっていないことを除けば。

だが、本質的な違いがある。
英国とアルゼンチンの対立は、アルゼンチン側の国内政治上の要因があったにせよ、それはかなりの部分が旧来的な領土紛争がエスカレートしたものとして説明しうる。だからこそ、この戦争の後特に両国関係が悪化してもいない(別にバラ色の関係でもないが)し、再び戦争が起きてもいない。

他方、尖閣は、純粋な意味での領土問題を超え出たものを含んでいる。それゆえに、性質が悪いのだ。

では領土問題を超え出たものとは何か。

人口13億人、兵士だけで数100万人を擁し、15年近く年率10%の経済成長を遂げてきた新興大国中国は、当然のように海洋覇権を求める(これを「当然」と考えるかどうかは、その人の世界観、歴史哲学に大きく依存するもものであることは認めよう)。例えばアメリカが、メキシコ湾やカリフォルニア沖やニューヨークのハドソン川の河口に中国の軍艦が遊弋することを看過できぬように、成長し自信を得た中国にとっては、東シナの海に自衛隊や米海軍の艦船にうろちょろされることはどうしても認められない脅威なのだ。
そうであるから北京は、近代的な外洋艦隊を作り上げようとこの10年間にわたって必死に頑張ってきた。
(海軍というのはだいたいどの国でも持っているのだが、長期間にわたって外洋で大規模な作戦任務を行うことができる海軍を持つ国は多くない。米国、日本、英国はまず間違いなく、次いで仏国、露国。それ以外の国は、自国から遠く離れた海洋において数カ月にわたって艦船を運用する経験やノウハウを保有していない。韓国海軍にしてもその経験はほとんどない。中国海軍は、今まさにこの外洋海軍=Blue Ocean Navyに生まれ変わろうとしている。)

尖閣諸島を日本から奪うことは、中国にとっては、西太平洋の米海軍+自衛隊の圧倒的な海上優勢に対する挑戦という野望にとって避けられぬ道程なのだ。そして、尖閣の次には沖縄が控える。
卓越した海軍軍略家であり、秋山真之がワシントンで師事したかのアルフレッド・セイヤー・マハンが言ったように(「海上権力史論」)、通商国家にとっては海上の支配権は絶対的に必要なものだ。海外からの資源・エネルギーにますます依存し、欧州・日本・米国との貿易により富を得る北京が、その物資の運搬ルートを他国、しかも北京が仮想的とみなす米国の手のうちにあるままでいいと考えるだろうと想定することは、中国人にとってのこの100年の屈辱の歴史を十分に理解しないナイーブな議論である。
仮に尖閣を強奪したとしても中国の西太平洋への勢力伸長は絶対に終わらない。それは終わり得ないのだ。それはあたかも水が高きから低きへ流れるかのごとく、力が外部に膨張し張り出してくる国際政治上の不可避の過程である。

やがて中国と日本・米国はさらに厳しく対立することになるだろう。
国際政治秩序の変更は、多くの場合戦争によって行われてきた。かつて日本が東アジアの地域覇権国として台頭した時には、日清・日露の二つの戦争が地域の国際政治秩序の変更・更新のために戦われた。普仏戦争は勃興するプロシアが分裂していたドイツ諸侯をプロイセン主導によって統一し大陸欧州最強の国家であることを宣明したし、第一次世界大戦は英国の世界覇権に終止符を打ち米国に新帝国としての地位を与えた(アメリカは当初全然やる気がなかったが)。
こういう歴史の意味を我々は十分に理解した上で、尖閣について中国に対しなければならないし、また「尖閣以後」についても戦略・戦術・軍備を備えねばならない。

30日連続で中国の政府監視船が尖閣諸島の接続水域を航行している。
この船は、ペリーの後150年の時代を経てやってきた新たな「黒船」である。それが意味するものは、日本人に「戦ってでも生き残る意思があるのか」という問題、日本人が戦後ひたすら放り投げ無視し続けてきた重大なこの問題を我々に投げかけている。
単に「ある領土問題を如何に解決するか」という次元に還元することはできない。