2010年9月5日日曜日

かつて親父は子供であった

見たことはないが、貴様の両親も俺の両親も、かつては丸坊主におかっぱの子供であった。
俺がひたすら眠る(たまには起きましょう!)我が姪を見つめた時に我が脳裏に来たったのは、かかる単純な事実であった。
命は大河の流れのように連綿と悠久の時のなかを流れ行く。命というものを歴史的俯瞰の視点から眺める時、最早「俺の命、俺の人生」という言葉に意味はない。俺の命は、ご先祖から与えられたという意味で過去の人々に属し、子孫に対する責任という意味で将来の世代のものでもある。俺の命は俺以外の者たちのものであり、俺という存在は大河を流れる水の一滴に過ぎぬ。
しかし、それは意思によって武装した一滴の水である。その意思は、奴一人のものではなく、歴史をその内部に閉じ込めて青く輝く光である。
先祖とは敬意によって、子孫とは慈愛によって接続されるとき、我々の人生は物語を手に入れる。
それは、車にとってのガソリンの如く、我々の人生を熱して駆動するものである。与えられた燃料でどれだけ先まで走ってみせるのか。足回りを固めてエンジンを一万回転まで回す準備を怠るな。