2010年9月7日火曜日

「自国中心主義=軍拡」ではない!

シュペングラーが、欧州を壊滅させた第一次世界大戦の終わった年に「西欧の没落」という問題作を発表してから92年が経った。金融経済危機に直面して、民間部門の負債を政府が肩代わりしたり政府による補助で需要を先食いしたり公共投資を増大したりすることで、世界経済は2009年の中頃には早くも回復基調にあった。新興国の需要は底堅く、失速した米国消費を補うかという楽観論も現れた。
だが、2010年を迎えてから世界を瞠目させたのは、民間部門を救う代わりに赤字まみれになったあまりに多くの国々の目も当てられぬバランスシートであった。

このことの経済学的なインプリケーションは、緊縮財政による公共投資の削減や自国通貨の実質的切り下げによる輸出増加の必要性などである。つまり、民間部門と違って政府は誰にも頼ることができないため、最終的なゼロサムの局面では他国に痛みを強いて自国の国力回復を計る。
ソフトな帝国主義の時代である。
近隣窮乏政策といってもよい。

では、この過大な財政赤字という問題が持つ軍事・安全保障上の意味とはなんであるか。

”軍縮”

本日付の日経朝刊によると、ブッシュ政権の二つの戦争などによる八年間で二倍にまで膨れ上がった米国の国防費は、現在の7000億ドルから今後5年間で1000億ドル削減される見込みだ。実に日本国の国防予算の2倍に匹敵する額を削減するそうな。750機の生産が予定された第五世代の最新鋭戦闘機F-22(Raptor)の生産は、187機で終了する。イギリスは、二隻の正規空母の建造を数年間延期し、今後五年間で国防費を10〜20パーセント削減する。イギリスは、アメリカに次ぐ兵力をアフガンに展開している国である。ドイツは4年以内に連邦軍25万人のうち約9万人を削減する。ポルトガルにいたっては国防費を3年以内に4割削減する。

これまでの150年間、帝国主義の先兵として、また後には信託委任統治や国連平和維持軍として文字通り世界中に軍事力を展開してきた欧米の大国が、次第に財政上の必要に迫られてますます内向きになることは避けられぬことであるように思う。
19世紀中ごろから世界に覇を唱えた大英帝国は、20世紀を迎えるころ、まず南北アメリカをアメリカの勢力圏として譲渡し、東アジアを日本に任せることでロシアの極東進出を抑止し、そして欧州においては屹立する陸軍大国ドイツを封じ込めるために栄光ある孤立を捨ててフランスと同盟を結び、けっして自ら望まぬ形で血生臭い大陸の勢力均衡に飲み込まれた。
だが、当時はまだ今からみれば比較的よい時代だったのかもしれない。勢力圏を譲渡す相手がいたからだ。米国がイラクから戦闘軍を完全に撤退させた後のイラク国内で、シーア派のイラン、長大な国境をイラクと接するサウジアラビア、クルド人にいつもイライラしているトルコなどが、どのような権謀術策を用いて争うのか。東アジア、西太平洋から米軍がやがて撤退、あるいはこの地での軍事力を縮小するとき、この広大な海洋を勢力圏とするのは誰なのか。

重大な問題は、安全保障政策が、外向的な戦略観ではなくて、財政上の制約によって規定されてしまっていることだ。もちろん、軍事力は金がかかるものである以上、財政規律を無視した安全保障政策など固よりあり得ない。
だが、今我々が目にし ているのは、世界に目を向ける余裕をなくし消極的な自国中心主義という小さな殻に閉じこもろうとする大国の姿である。

もっとも、日本は戦後65年間ひたすらそういう国であり続けたのだが。