2011年2月7日月曜日

好きな言葉

「おしなべて生あるものは、金閣のような厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の錯誤である。 ・・・人間のようにモータル(注・「可死の」)なものは根絶することができないのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。」

-三島由紀夫、「金閣寺」、新潮文庫、P.246
世界に天才は存在する、そしてそれは俺ではないと気持ちよく痛感させられた一文である。


「私はテクノロジーがもたらす『仮想の地球社会』の中で人々が理性に目覚め、人類愛によって結ばれて平和と幸福と長期の健康を享受するようになる世界よりも、時に怒り争い、時に欠乏に不平を鳴らし、時に誤解をしながら、人生に希望を抱きつつ、幾人かの人を愛し、やがて死んでいく人間からなる社会に住んでいたいと個人的には願うし、そこにこそ人間的な秩序が存在すると信じている」

-中西寛、「国際政治とは何か」、中公新書、P.277
平和主義者が唱える平和ののっぺらぼうさ加減に四年間の宝塚生活を経て飽き飽きしていた俺がこの文章に触れたときの感動は忘れられない。「人間的な秩序」を俺は求めるのであって、個性なき「秩序」など全く無用だ。


「人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意思でいますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中がー自分の立場からみてーどんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず(デンノッホ)!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが、政治への『天職(べルーフ)』を持つ」

-マックス・ヴェーバー、「職業としての政治」、岩波文庫、P.106


「同胞よ、もしなんじらが一つの道徳を所有するとせば、しかも、この道徳が真になんじの道徳であるとせば、なんじが之を他人と共有することはありえない。....みよ!なんじは、かくすることによって、なんじの道徳の名を民衆と共有するに至った。なんじの道徳を抱きながら、愚衆に堕し、家畜の群と化するに至った!」

ニーチェ、「ツァラトゥストラかく語りき(上)」、新潮社、P.77
謙遜は、それが義務の放棄と孤独からの逃避を目的としない限りにおいて、我々の美徳である。


「人の行く裏に道あり花の山」

-菊正宗酒造第十二代当主、嘉納毅人


「屈辱の平和は甘美ならず。我に自由か、然らずんば死を与えよ。自由は鮮血をもって勝ち取るものなり」

-パトリック・ヘンリー(米独立戦争の指導者)


「浅き川も深く渡れ」

-星野道夫
とてつもないことを言う男だ。こんなことを言う人間に見える機会を得た人は幸いである。


”Keep your friends close, but your enemies closer"

-”ドン” コルレオーネ(映画ゴッドファーザー)


「人間各々の価値は、その人が熱心に追い求める対象の価値に等しい」

-大マルクス(マルクス・アウレリウス・アントニウス)、「自省録」、岩波文庫、P.127


「孤独は、その時代なり社会なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)敗れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、おのれの言動に意味を見出そうと努め(または務め)、そしてその意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度とするだけのことに未充足を覚えるのです。そして、それを充足させるべく、人間は再び孤独のなかから起ち上がるわけです。しかし、おのれの意識が高みに登れば、視界が広くなりはするものの、その結果、到達すべき目標がさらに遠のきます。このシジフォスのものめいた営みは、しかし、幸いなるかな、永遠には続きません。死がそれに終止符を打ってくれるからです。『平定されることへの反乱』、それが孤独の原因なのですから、独立自尊の気構えを持った者は、死を意識するのもまた人間の特権だとみなすほかないのです」

-西部邁、「妻と僕」、飛鳥新社、P.186

「天才だからだいじょうぶ!」

-桜木花道、「スラムダンク」(井上雄彦)