2011年2月11日金曜日

阿呆の就職活動 & 雑記

就職活動生諸君、白いシャツを着るな。群れるな。OB訪問はするな。いや、たまにはいいか。
俺の就職活動の時のテーマは、「28歳抜群優秀ビジネスマン転職活動中」だった。
というのは、就職活動をすることへの抵抗があったからだ。本当に俺が優秀で余人を以て代え難い人物であれば、俺がわざわざ京都から梅田まで出かけていく必要なぞなかったはずだ。放っておいても秘密諜報機関が「ちょっと失礼」と声をかけてきただろう。そして俺は007になるはずだったのだ。だから、就職活動をしている人は、まずこの後悔を持たねばならない。世には、19歳で1億円を稼ぐゴルファーもいれば、22歳で会社を経営している者も確かにいるのだから。
というわけで、実体を伴わない不細工な俺は、その他大勢の「初めて僕ちゃんスーツ着ちゃいました」という学生と同列に見られるのが我慢ならんから、如何に自分を見せるべきかを考えた。その結果、何個か決めごとを作った。
①その他の就職活動生と話をしない。就職活動で友達を作る人の気がしれない。あんな茶番の最中に共通の課題を通して仲良しこよしかコノヤロー、と思っていた。
②面接にエントリーシートを持っていかない。控室で背中を丸めて必死にシートに自分が書いたことを記憶しようとしている学生たちの健気なこと。
③面接の控室では勉強していることに関する本や雑誌をいつものように読む。
④俺が入るに値する会社かどうかを見極めるための質問を事前に準備しておく。
と言いながら、沢山落第した会社もあったから、威張れたもんではないのだが。偉そうですいません。
それにしても思うのだ。別にテニス部のキャプテンじゃなくてもいいし、世界中を旅したことがなくてもいいじゃないか。居酒屋で店長をしたことがなくてもいいじゃないか。
「これまであまり勉強をしてきませんでした。体育会でもないです(いい加減に体育会採用をやめたいものだ)。つまり僕はそこらへんにいる普通の学生の一人にすぎません。でも、だからこそ自分の将来にも日本の将来にも大いに危機感を持っています。仕事を選ぶというよりも、なにがなんでも仕事に就いて、20代の間に自分という人格の上に積み上げられるだけの経験と知識を積み上げたい。そしてやがては世界のための役に立つ大いなる人物になりたい。全く恥ずかしい話ですが、こう思って、今日面接に参りました」
これだけ言える学生さんなら、俺は採ると思うんだけどな。

○なぜ夫婦は同じ家に暮らすべきと一般的に考えられているのだろう。帰宅してまで人と話したくないという人もいるだろう?四六時中誰かといつも話していたら自己の全てが吸い取られそうだ。

○珈琲や紅茶には砂糖やミルクをみんな入れるのに、麦茶や緑茶には誰もいれない。大甘の緑茶をたまにオフィスで飲むと、これが旨いのだ。スターバックスも緑茶を置けばいいのになと思う。

○高校生が一人自殺した場合下手をすれば全国ニュースになるのに、45歳のサラリーマンが自殺をしてもなんのニュースにもならない。サラリーマンは死んで当然だとでも?俺からすれば、多感な10代のほうがよっぽど自殺しやすいと思うのだが。むしろ、問題とすべきは数も多くて扶養家族を抱える中年サラリーマン層の自殺だろう。誰が何を隠そうとしているのか。

○スターバックスで「キャラメルカフェフラペチーノ」を注文できる男って、なんというのか、民主化されているなぁと思う。
中東の独裁者にもキャラメルフラペチーノに目がないものもいるかもしれないだって?うーん、思慮深いことだ。
恥ずかしくないですか?可愛らしい女性に、男が「キャラメルカフェフラペチーノ」という長い英語を言うのって。「オムライスとイチゴパフェを下さい」とは紳士は言えないのだよ。
俺はいつも「プレスでケニアを」。そう言えばいつかカフェ・ラテを頼んだら不藤に叱られたな。女の飲みもんやぞって。

○アメリカの現在の政治的苦難の最大のものは、国家の分裂だ。
最たるものは、貧富の格差だ。メジャーリーガーが20億円を一年で稼ぐ必要があるのは、彼らがそれに見合うからではなくて、ドミニカ生まれの貧しかった彼らの「アメリカンドリーム」を貧困層に対して顕示する必要があるからだ。だが、どうなんだろう。もはや貧富の格差に寛容で、アメリカンドリームをメディアで喧伝しておけば階層間の対立が緩和されるというレベルはとうに終わったと思うのだが。
この問題に対する最も痛みと抵抗の少ない方策が、「Esay Credit」(つまり誰にでも変動金利で住宅ローン)。それによって、ITバブル以降の歴史的な金融緩和に原因する住宅バブルは生まれた。ブッシュ前大統領は、「マイホームを持つという夢をこの数年間で多くのアメリカ人が実現した」と自慢していたな、そういえば。
あらゆる経済事象は、多かれ少なかれ政治的原因を持つ。
強欲なBankerだけが悪いんじゃないだろう。皆が年収400万円で5000万円の家をドカドカ建てて住宅価格の値上がり分の含み益を見越して別荘まで買ってたんだから。

○名古屋での市長選、愛知県知事選の二つの選挙で、いずれも民主・自民の支援を受けない川村たかし氏と大村秀章氏が圧倒的優勢で勝利した。名古屋の有権者の投票行動が示しているのは、形だけの二大政党制への諦めと、民主党への絶望だ。
自民党に代わって政権について民主党が実際のところ自民党よりひどかった。これを知るのにたいして時間はかからなかった。
だから、我々はもはや選択肢がないのだ。有効な他の選択肢がない。民主党が選ばれたのは、自民党に代わりうるたった一つの政党だったからであって、それが破綻してしまえばもはや選びようがない。
徐々に地方の奇天烈な若い政治家が大きな力を持ちつつある。
独裁的だなどと守旧勢力は言っているが、中央で権力を独占していたいという表明だろうそれは。

○医者は、世界から病気と怪我が一掃されたならば、白衣を脱がなければならない。
哲学者は、哲学の問題が全て解決されたならば、もはや哲学書を紐解いてはならない。
法律家は、社会からあらゆる争いがなくなったならば、六法全書を棄てねばならない。
真摯な生き方とは、こういう厳密さを必要とする。
故に、上のなかでもとりわけ哲学者の目的は、「自分の存在意義を無意味化すること」になる。
これ以上格好良い生き方があるだろうか?

○木曜日にウズベキスタン国営のウラン生産会社の副総裁を連れて秋葉原のメイド・カフェに行ったのだが、あれは「ぼろい」商売だと思った
なんでジンジャーエール1杯に「おいしくなる魔法」をかけて、写真を一枚撮らせて2000円だ。
おまけに秋葉原ならメイドの格好をしてオタクさんにちやほやされたい女性は少なくないから人件費だって他とカフェと比べてそこまで高いわけじゃあるまい。まぁ、秋葉原のような特殊な土地でしか開業しにくいというのはあるが、たぶん成功したらぼろもうけだろう。
しかしなぁ、日本という国の「品格」が問われるよなぁ、あんなくだらんところに連れて行っては。
別にお茶を点てさせてやれとは言わんがね。
特段メイド・カフェに反対という立場ではない。

○「読書とは、死者との熱狂的なダンスである。」

-モーリス・ブランショ