2010年10月28日木曜日

遅ればせながら~10月16日の結婚式(斉藤、有賀ちゃん)

大樹(背番号1)の左側は、2000年の夏の岡山県大会予選準決勝で城東を粉砕した岡山理科大外付属高校の四番を打っていた河本君。妙なつながりってあるもんだね。

山口(左)は、マックでチーズバーガーさえ注文できない英語力で(ほんとうか?まぁ俺の友達の内田君はイタリアレストランで「お水下さい」と言ったらオムレツが出てきたが)単身ギター一つ抱えてニューヨークのセントラルパークで歌っとったそうな。その行動力に敬意を表したいと思う。

10年ぶりに会おうが、5年ぶりに会おうが、昨日も酒を飲んでいたかのように話ができる。
そういう関係を作ってくれたのは、あのガッデム!な経験だとしたら、それは喜ばしいことだ。
俺は高校野球では単なる負け犬だった。そりゃもう雨に打たれてNYのダウンタウンをさまようリトルチャロみたいなもんだ。
仮にもう一度俺に人生があったとして(要らんが)、そして現在の人生を記憶したままもう一度人生を生きられるとしたら、俺は素直に「絶対もう一回城東で野球をやる!」とは言えない。
だけど、長く重厚な熟慮の末に、絞り出すように「もっかいやっちゃる」と言うのだろう。
軽々しく、「絶対もう一回やる!」と言えるような経験ではない。
生きていることが恥ずかしくなって自分の存在意義を問う破目になるほどの強力で美しい屈辱を俺に与えてくれた野球、楽しいことをやっているだけでは到底獲得しえない奥深い何か、そういうものを徹底的に教えてくれた野球を、小学校の時からずっとやらせてくれた両親に感謝したい。

オ~見事に俺のことばっかり...ごめんよ斉藤。

ところで、三次会(四次会?)のカラオケでの大樹と俺の対照が俺には面白かった。彼は「青春アミーゴ」(「地元じゃ負けしらず」ってどういうことなんだろう???)をフリつきで歌ってみんな大爆笑。俺はいつも通りに「宇宙戦艦ヤマト」やら長渕「桜島」を歌った(歌うのに必死でみんなのノリなんて見ちゃいません)。二人がやっている仕事はそっくりなんだろうが、決定的に異なる10年間を過ごしたことの証左だろうよ。違うことは素晴らしいことだ。一緒の人間が群れることには、生物学的にも社会学的にも、なんの意義もないだろう。