2010年10月27日水曜日

雑誌Foresight :中国が進める東南アジアの「裏庭化」 by 樋泉克夫 

中国が進める東南アジアの「裏庭化」

2010/10/01
愛知県立大学教授

 菅直人政権は尖閣諸島問題を国内法に基づいて粛々と処理すると胸を張っていたはずが、高まる中国の圧力を前に唯々諾々と従うかのように中国人船長を釈放した。にもかかわらず、却って中国側の要求は高まるばかり。これでは菅首相が戦略的互恵関係を強弁しようが、戦略のみならず互恵ですらない。四苦八苦状態の日本を横目にしながら、いま中国は、かつて内外から日本の金城湯池と目されていたASEAN(東南アジア諸国連合)に猛烈な南進攻勢を掛ける。

中国のもう1つの南進拠点・南寧

 中国が南進を本格化したのは1990年代初期。沿海地域に較べ経済発展が大幅に遅れた雲南、貴州、四川、広西など西南地区の開発を目指した当時の李鵬首相は、「雲南を南に向かって開き南進せよ」と大号令をかけた。以来、ミャンマーとの関係やメコン川流域開発に象徴的にみられるように、雲南の省都・昆明を拠点にして南進を続けてきた中国だが、近年になって、かつて中越懲罰戦争の際のヴェトナム攻撃最前線基地であった広西チワン族自治区の首府・南寧を2つ目の南進拠点として動き出した。
 南寧を拠点にした南進戦略の代表例が、中国南部の広西チワン族自治区沿岸、広東省の雷州半島、海南省、ヴェトナム北部沿岸に囲まれ南シナ海に繋がる広大な北部湾海域を囲む地域や国を一体化した経済圏にしようとする「泛北部湾経済合作区」構想だ。2007年3月の全国人民代表大会・中国人民政治協商会議の際、広西チワン族自治区政府は、この構想を中国経済を牽引してきた珠江三角洲(香港、深圳など)、長江三角洲(上海など)、環渤海湾(大連、青島など)に続く「第4の経済圏」として国家プロジェクトに昇格せよと提案したのである。
 この動きを捉え、胡錦濤国家主席と温家宝首相は積極支持を表明するのだが、じつは06年開始の「十一五(第11次5カ年計画)」で泛北部湾経済区を西部大開発計画における3つの重点開発目標の1つに繰り入れるなどして、総事業費1000億元(約1兆2500億円)の広西鉄道整備・建設計画が承認されていた。加えて、北部湾を囲む両国四方(ヴェトナム北部沿海と中国の広西、広東、海南、北部湾地区)のみならず、近隣諸国をも包括した泛北部湾経済合作区に拡大すべきとの方向が打ち出されたのだ。

南寧からシンガポールまでを結ぶ

 かくして、「中国とASEANとの次地域(より小さな地域=サブリージョナル=)での合作も、一面的な『陸上合作』から双方向性を多元的に備えた『海陸合作』の要となる」(劉奇葆・広西チワン族自治区党委員会書記=当時=)という方向性が打ち出され、中国に加えヴェトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、タイのASEAN7カ国が参加する「泛北部湾経済合作論壇」と名づけられた国際会議が動き出すこととなった。
 5回目となった今年の泛北部湾経済合作論壇は8月12、13日、南寧で開催されたが、それに歩調を合わせたかのように、中国鉄道部は南寧・シンガポール間の鉄道建設を積極的に推進することを表明している。
 中国鉄道部経済企画研究院の林仲洪副院長によれば、南寧・シンガポール線は南寧から南下し憑祥で国境を越えてハノイへ。その後はホーチミン、プノンペン、バンコク、クアラルンプールと4カ国を経由してシンガポールまでの全長5000キロ。このうち中国側新設区間は200キロ弱。ホーチミンからプノンペン経由でタイ国内線に接続する区間で整備・新設を要する距離が435キロ前後。またタインホアから枝分かれしてヴィエンチャン、バンコクを経由してシンガポールと結ぶ予定もある。以上の2路線完成後、中国側の貴州、広西、湖南、広東の各省の既存路線と接続させることで、中国南部と「中南半島(=インドシナ+東南アジア大陸部)」とを一体化させた物流ネットワークが動き出すというのだ。

 伝えられるところでは、中国・ASEAN間の物流は陸路に限っても年平均13%増で2020年には8860万トン(うち、4680万トンが中国の輸入分)に、貿易総額は年平均11%の伸びをみせ8000億ドルに達するというのが、中国側の予想である。じつは09年末、中国政府は「より積極的に泛北部湾経済合作を支持し、合作の基盤と機構を創設し、南寧・シンガポール経済回廊を建設する」との路線を打ち出していた。つまり泛北部湾経済合作論壇は、この地域(インドシナ+東南アジア大陸部)の改造へ向けた中国による中国のための国際的仕掛けであり、ASEAN抱え込み策ということだろう。

東南アジア大陸部鉄道網建設計画

 9月7日、タイのアピシット政権は中国の技術・資金協力による鉄道網整備計画を、中国との協議、事業内容の国会審議、公聴会などの手続きを進めつつ推進することを閣議で確認した。じつはタイ政府は6月末、バンコクを起点に北部のチェンマイ(745Km)、東北部のノンカイ(615Km)、南部のハジャイ(937Km)、東部のラヨン(221Km)をそれぞれ結ぶ高速鉄道建設方針を打ち出している。総予算はバンコク外環高速道路建設(207億バーツ)を含め7000億バーツ(約1兆9000億円)規模になるようだ。さらに7月中旬には実力者のステープ副首相が中国共産党の招待を受け、対中担当の影の外務大臣といわれるウィーラチャイ(李天文)科学技術大臣を伴って訪中し、中国版新幹線に試乗しているのである。
 ここで注目すべきは今回のタイの鉄道網整備計画が、90年代初期に中国で計画された東南アジア大陸部改造計画とでも呼ぶべき構想の一環をなしていることだろう。90年代初期に筆者が昆明で入手した「部外秘」の印が押された新聞見開き2頁大の「大西南・対外通道図」には、雲南を中心に広西、ヴェトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド東部、チベットが描かれ、昆明をハブの中心にした周辺各都市への航空路、水路、鉄道網の将来計画が示されているのである。しかも地図の裏面には水路、鉄道網建設・整備に関する概算やキロ当たりの輸送単価までが記されていた。今回タイ政府が打ち出した鉄道網整備計画は、この「大西南・対外通道図」に描かれた路線図と重なり合っているのだ。

タイとの華人人脈

 もう1つ注目しておきたいのが、すでに昨秋段階で鉄道網整備計画を明らかにしていたウィーラチャイ大臣の血縁関係である。義父はタイ最大の対中投資企業である「CP集団」を率いるタニン(謝国民)であり、実兄の義父は王室に近く対中ビジネスに積極姿勢を示すカシコン(泰華農民)銀行を軸とするラムサム(伍)財閥総帥のバンヨン(伍捷樸)、父親は対中ビジネス最大の実力者で知られるスチャイ(李景河)である。これに加えるなら次期首相の声が高まりつつあるコーン(蘇)財務大臣はラムサム一族とは姻戚関係にある。タイの対中ビジネスを支える血で結ばれた巨大財閥が、巨大な利権を産むことになる鉄道網整備計画に微妙に絡んでいる。タイと中国の両政府は、華人企業家と「双贏(ウイン・ウイン)関係」を結ぼうというのか。
 将来、タイの鉄道網が整備された暁には最高時速200キロの中国製新幹線がタイ国内を奔り、さらに中国(雲南の昆明と広西の南寧)を起点に、ラオス、タイ、マレーシアを縦断しシンガポールまでが鉄道で結ばれることになるだろう。
 中国は、中国の側から見て昆明から右手を、南寧から左手を伸ばし、両腕で抱え込むようにして、東南アジアの富と資源を根こそぎ掬い取ろうとしているのだ。今回の尖閣問題で露呈した菅政権の拙劣外交を目にすれば、ASEAN諸国政府が外交の軸足を中国の側に移さざるを得なくなることは十分に予測できる。10月4、5日にブリュッセルで開催されるアジア欧州会議(ASEM)は、東南アジアにおいて中国主導で進みつつある"日本はずし"を食い止めるための最初の試金石といえる。いま日本は、対ASEAN外交の再構築を逼られているのだ。