2010年8月9日月曜日

核兵器の時効

俺の仕事は核燃料を売ることだ。
珈琲を出す店が、「アフリカの民を搾取する極悪企業!」と罵られることがあることを考えると、数万年にわたって放射能を発散し続ける「核のゴミ(使用済燃料」を後の世代に譲り渡すという事業に手を染めてい
る俺は、過激な環境テロリストからすれば暗殺リストの端の端に載っているかもしれないとさえ思う。
今日は、長崎にプレトニウム型原子爆弾が投下され炸裂してから丁度65年だ。毎年恒例の行事が広島と長崎で行われ、いつも通りのニュースが放送されている。
ウランの仕事に携わって丸二年。核兵器と世界秩序についての我が見解をここで申し述べたい。

まず、最初に断っておくが、兵器としての核と人間は、「共存せねばならない」というのが俺の意見だ。そう考えるのは以下の理由による。
我々は、核兵器と"仲良く"70年弱を生きてきた。この事実は、重大である。最早核兵器は我々人間の外部的存在ではなく、むしろ、我々の最大の共同体の単位である国家間の関係を最も基底的に支えている、人間内的存在である。支えている、というのは、「それがあるから平和がある」という意味では必ずしもなくて、政策決定者が戦略を立案する際の最も重要で死活的な利益が核兵器に懸かっているということだ。なぜなら、純粋な意味で、核兵器のみが「国家を絶滅させる」物理的能力を我々に与えているからだ。広島に落とされたウラン型原爆の数千倍の破壊力を持つ弾頭が、いまこの瞬間にも世界の海に数百発も数先発も潜んでいる。

だから核兵器をなくせばよい!核兵器反対論者の主張はこうである。だが、核がなければ世界が平和になる保障は全然ない。逆に、核兵器が誕生してからも人類はひたすら戦い続けてきたが、それでも人口数千万の国
同士が真っ正面から総力戦でぶつかり合うという戦争がなくなったという事実は、核兵器がもたらした数少ない果実ではなかったか。核兵器がない時代は平和だったか。ルワンダでは自動小銃さえないのに民族間の悲惨な闘争で数十万の民が殺されたではないか...
核兵器と我々は、もはや地球の自然の一部をなすまでになった。悪としての核兵器は、もはや時効を迎えたと言える。それと今後も向き合って、共存していくことは、我々人類の宿亜なのだ。
我々が、この悪魔の兵器を廃絶できないまでも、共同によって、また抑止によってそれが使用されないことを確保できるならば、俺は人類の将来に希望を持てる。

核兵器がなければ世界は平和だというのは、戦争がなければ世界は平和だというのと質的に変わらない。金持ちになるためには貧乏でなければよいというのにも近い。

保守主義者は、世界に革命を求めない。世界から核兵器が根絶されることは、純粋な意味で革命である。国際社会の基底を覆して、過去に戻るものだからだ(revolve)。俺は、不満足ながらも(核兵器という癌を抱えながらも)、これまでの先人達が必死の思いで築き上げてきたこの既存の世界秩序を、希望という櫓に組み立てられた理想よりも尊いものだと思う。

卓抜した国際政治学者である中西寛は、著者「国際政治とは何か」の最後で次のように述べている(俺に京大の大学院に入ることを決意させた文章である)。

"私はテクノロジーがもたらす「仮想の地球社会」の中で人々が理性に目覚め、人類愛によって結ばれて平和と幸福と長期の健康とを享受するよう
になる世界よりも、時に怒り争い、時に欠乏に不平を鳴らし、時に誤解をしながら、人生に希望を抱きつつ、幾人かの人を愛し、やがて死んでいく人間からなる社会に住んでいたいと個人的には願うし、そこにこそ人間的な秩序が存在すると信じている"



俺を狂人だなどと誤解しないで欲しい。核廃絶を叫ぶ前に、日本に届く中国の核ミサイルの数を正の字を書いて数えて欲しい。弾頭の数ではなくて、ミサイルの数で十分だ。米露中さらには北朝鮮という核保有国に囲まれた我が国が、「唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、核廃絶を実現する」というのが、俺には性犯罪の被害に遭った女性が深夜のヨハネスブルクのダウンタウンをホットパンツにキャミソールで歩くようなものに思えて仕方がない。
一国の安全保障戦略を論じる際に、核兵器の言葉さえ出せないこの空気は異常だ。大東亜戦争中に、「戦争反対!」と叫ぶことは、このような感じだったのだろうとたまに思う。
日本に再び核が落ちてこないこと、そのためには、俺はどんな手段も採るだろう。