2010年8月11日水曜日

法律の限界、そして保守主義的なるものへ

関西学院大学の時分の話である。
2002年の4月にこの大学に入学して、GW前には人との関係を断つことに決めたことで俺が得たものは、膨大な時間だった。日本の文系の大学なんぞ、東京大学だろうがほにゃらら大学だろうが、さほど変わりはせんだろう。ゼミで報告の担当になれば、文献を読んでレジュメにまとめて、その主題についてなんの学問的関心も持たぬ生徒だらけの教室で喋らされるぐらいのものだ。
というわけで、一日のうち最も多くても講義は3つという塩梅だったから、それ以外はすべて自分の時間である。小学校一年生の時から野球をやっていた俺は、こういう自分の時間をろくに使ったことがなかった。まぁ、それだからこそ、友人とつるむということができないのである。毎日が日曜日のようだった。
ただし、暇だなとか退屈だなと思ったことは一度もない。トレーニングと読書と武庫川の河原での思索(ぼけーっとしているだけ)で一日7時間はすぐに消えてしまう。おまけに備えたばかりの110インチぐらいのホームシアターで戦争映画をたまに見ていれば、時間は足りないほどだった。

サラリーマンになりたくないと小学校3年生のときから強く考えていたので(おい、貴様の今の職業はなんぞ?)、手に職をつけようと思った。せっかく強制されて六法全書も買ったし(俺は国際法を研究したかったのだ)、司法試験を受けてみようと思った。親に「司法試験を受けたいからお金を下さい」というと、案の定というべきか、すぐさま快諾してくれた(我が両親は教育・書籍への出費には本当に寛大だった。学部・大学院の六年間を通して、本を買うのに金がないと電話をしたら、2日後には図書カードを送ってくれた。感謝しています)。俺は2002年の9月から大阪は梅田の伊藤塾に通うことになった。

司法試験受験に際して、基本となるのは憲法、民法、刑法の三つである。
憲法9条の馬鹿げた解釈論に呆れてしまったり、刑法の行為無価値と結果無価値の論争に思想的な興味を覚えたりしながら、日々予習と復習を繰り返し図書館で論点を丸暗記する、そういう傍から見れば大変地味だろうが、野球をやっていた時代とあまり精神的には変わらぬ、淡々としているが充実した日々を過ごしていた。

ある日の伊藤塾での民法の講義のことだ。
不法行為責任を問われた場合の責任の範囲についての論点で、俺は突然法律をあきらめた。
それは、こういう事例だ。

あなたは今自動車を運転している。連日の飲み会で睡眠不足だった。つい居眠り運転をしてしまい、中学生の男子生徒を撥ねてしまった。男子生徒は、大腿骨を骨折してしまっているが、生きるか死ぬかの瀬戸際でもない。あなたはあたふたしながらも、なんとか携帯電話でアンビュランスを呼んだ。救急車が15分ほどでやってきて、男子生徒を乗せて走りだした。100m進んだところで、2.5tほどある米国製SUVが対向車線をはみ出して救急車に突進し、時速85kmで、60kmで走っていた救急車に正面から衝突した。男子生徒は、この二度目の事故で、即死してしまった。

さて、この場合、あなたが負うべき不法行為責任はどこまでか?
男子生徒の二度目の事故はあなたの起こした事故がなければ起こり得なかったから、彼の死亡についても責任を負うのか?それとも“第一段”の事故についてのみ責任を負うのか?彼が天才ゴルフ少年で10年後のマスターズ制覇は確実と見られており生涯所得は100億円を超えると見積もられていたら、そのような莫大な金額を遺族に賠償せねばならんのか???

法律は、こういう問いに答えを出せない。
だから、法律の専門家は、「社会通念上、相当と考えられる程度に限り、不法行為者は損害賠償の責任を負う」とかなんとかいうのである。
ここで大いなる疑問が生じた。

「社会通念」


????????

サッチャーはかつて「社会なぞない。あるのは個人だけだ」と言ったが、「社会」なんぞあるのか。しかもそこに「通念」なんぞあるのか。これが、俺が民法の勉強から得た、思想的な意味で最も俺に貢献した最大の疑問であった。

今から思えば、当たり前のことなのだ。法律は、法律以前の、社会に広く共有された価値観(「共通善」とでも言えましょう)があればこそ、その上に、警察・検察・軍隊という実力によって強制力を担保された法律が存在しえるということ。
例えば、「人を殺してはいけません」という当為は、「人を殺してはいけない」という価値観が共有されていないならば無駄である。「いや、牢屋にぶち込まれたり、最悪の場合は死刑という抑止力があるから問題ない」と強弁する人があるやもしれぬが、それにはこう反論しておけばよい。自殺願望があるが自分では死ぬ気がない人には、死刑は抑止力を持たぬし、人間のなかには人を殺して刑務所でただで飯が食えると考えるほどに浅ましい者がいないとは断定できぬ。

というわけで、俺は、それ以後「社会通念」の探索を始めるハメになった。
人を撥ねてしまった場合に、あなたが追うべき責任の範囲、、、どこまでの責任を負うことが、「正義」に適っているのか?そんな答えは、六法全書にも民法学者の脳ミソのなかにもないことぐらいは、容易に見当がついた。

人を殺してはいけない、それはなぜ?誰が決めた?殺されてもいいぐらいの悪者はいないのか?実際世のヒーロー物語では(ドラゴンボール)は人(宇宙人?)を殺しまくっとるじゃないか?
年上の人には挨拶をしましょう、それはなぜ?誰がきめた?親父か?天皇陛下か?猫には挨拶せんでええのか?
朝人とあったら「おはようございます」と言いましょう、それはなぜ?「お早くございません」ではだめか?

とまぁ、考え付く限りの学生らしい疑問を頭にたっぷり詰め込んで、それがあまりに解決できぬものだから、いつもイライラしていた。こんな質問を人に尋ねても笑われそうだったし。

勘のいい方のご賢察のとおり、俺はこうして保守主義というものに傾倒し始めたのだった。
まず、西部邁氏の著作を片っ端から読みふけった。独自の文体が妙に目にも腹にも優しくて、読むのが非常に楽しかった記憶がある。
そして、西部氏からバークというフランス革命を批判した英国人がいたことを教えられた。
それまでの教育で、フランス革命は「貴族や王や宗教者の圧政に対して、”市民”が立ち上がり自由と平等と博愛の精神を世に広めた世界史的事件」という左翼の香りプンプンのドグマ(教義)で洗脳されていた俺にとって、世界でもっともはやく民主主義による統治を始めたイギリスのこの貴族が、フランス革命を糾弾したという事実は、恐るべきことであると思われた。

法律は、誰かが作る。それを解釈して運用する。そのことには関心を持てなくなって、やがて六法全書を鞄から投げ出した。「正しいものとはなにか」「社会にとって善とはなにか」「国家にとって社会とはなにか」「戦争において美はありえるか」。これらが当時の俺の問題意識の主たるものだった。

思想という、俺が生涯離れられぬであろうこのことに目を向けざるを得なくなった背景にはかかる事情があったのである。

(断わっておくが、俺は法律家は尊い職務だと思っている。俺は、人が作った法律(米国が作った憲法)を運用することへの関心を失っただけである。)