2011年1月13日木曜日

借金を持つことの重要性

年末に倉敷で母と話をしていたとき、資産運用の話になった。
とはいえ、「株をやる?そんなん危ないからやめきなさい」と言うような母なので、別に資産の運用や投資について突っ込んだ話をしたのではない。

ふと思った。
「株を”やる”」という言葉。
「株(株式)」を目的語とすることができる動詞は、恐らく「買う」「売る」「持つ」などであって、名詞である「株式」を”やる”ことはできない。いつかこのブログで言ったと思うが、「腹筋をする」「大腿四頭筋をする」という言葉と同じようにおかしい。

ではなぜこの「株をやる」という言葉が人口に膾炙しているか?
この”やる”という動詞は、恐らく「競馬を”やる”」とか「賭けを”やる(する)”」という言葉と含意が同じだ。
つまり株式を資産として持ったり売買したりすることは、本質的に博打と同類とされてきたわけだ。

このことは必ずしも根拠のないことではない。
この狭い国土に1億以上の人口を抱える我が国では、土地神話は20年前まで有効だった。
土地の値段は絶対に下がらない。だから最終的に土地資産を保有しておけば安全である。そんな時代にわざわざ株式を購入しようという一般人は、リスク好きの金儲け主義者とでもみられたのだろう。
この土地信仰はすでに崩壊したのだが、これが日本人の投資心理に与えた影響は小さくない。

さて、母が株は危ないというから、「じゃあ資産をどうやって(不動産なのか預金なのか外貨預金なのか)?」と尋ねると、これまた非常に数年前までの日本人らしく、「銀行に預けておけばいい」と返ってきた。あぁ、だから国債って暴落しないんか。だから金利が急騰しないんか。

俺は、母のこの「円信仰」をとっちめてやろうと思った。
当然ながら、円(といわず通貨すべて)で資産を持つことに対する最大のリスクは、インフレである。
通貨が減価するのだから、その通貨を持っていていいはずがない。
とは言っても、世間知らずの母に簡単に「インフレになったらどうすんじゃい」と言っても通じるはずがない。俺は頭をぐわしとひねってこんな話をした。

「AさんとBさんの友人二人が、横須賀に海軍カレーを食べに行きました。Aさんは財布を忘れ、自分のカレーのお代1500円をBさんに払ってもらい、次回会う時に支払うことにしました。二人とも戦闘に忙しく、再会は二年後になりました。二年前に食べた海軍カレーが美味しかったので、二人はまたここに食べに行きました。今度はAさんも財布を持ってきていました。2年前のBさんへの借りの1500円を返さないといけないので、Aさんは、『今日は前回の借りがあるから俺が出さないとね』と言いました。ところが、折からの日本国債の急落のために物価が高騰していて、二年前と同じカレーが今は3000円になっていました。Aさんは、『悪いけど借りは1500円だけだから、俺は1500円だけ払うよ』と言いました。おさまらないのはBさん。『おいおい、俺はカレー一食分を貴様に貸したんだぞ。いま1500円返してもらってもカレー半分しか食べられないぢゃないか。ちゃんと同じ価値の金額を払えよ」

Aさんが借りた金額通りの1500円を払った場合、勝つのはAさん。
なぜならAさんは、1500円を借りたのに、返済のときには実質的にその借金は半額になっていたからだ。カレー1食分の金を借りて、返すときはカレー0.5食分しか返さなくてよいと言えば分かりやすいだろうと思う。
逆にBさんは負けだ。カレー一食分の金1500円を貸したと思っていたら、返ってきた金はカレー0.5食分になっていたのだから。

従って、インフレが来ると100%確実に予見できるなら、今の固定金利で借り入れをどんどん増やしておけばいいということになる。インフレが借金を減殺してくれるからだ。物価高騰分は、借主の益であり貸主の損である。
逆にデフレ局面では、通貨を保有していれば、通貨価値が上がる(そのため物価が下がる)ので、預金だけ持っておけば資産が膨らむことになる。

国を頼って会社を頼っていたら身ぐるみはがされる時代がきた。
本当なら金のことなど考えもせず暮らしたいが、残念ながら俺は王侯貴族ではないから下賤な金のことも考えざるを得ない。さもなくば人生で実現すべきことのなにも達成できなくなってしまうだろう。
これからは、個人すべてが自分で頭を使って、ある程度は事業主のように資産を運用することができないと、自分の生活を守れないことになる。別に”金転がし”で大儲けをするためではなくて、単純に資産をあるがままの資産として維持するためにも資産をどう運用するかを考えざるをえない。
経済的独立は確固たる経済的基盤の上にしかありえず、経済的独立なしに政治的独立も思想的独立もあり得ない。
残念ながら、一つの会社に定期昇給保証の終身雇用で勤め上げて60歳から年金がもらえるというのは、ほんの一握りの幸せな労働者だけなのだ。我々日本の労働者は、ほとんどの日本企業にとって資産というよりもコストでしかない。痛々しい話だが、そりゃそうだろう。
中国や韓国やインドの会社と血みどろの競争をしている会社に「大きくて安定しているから入れて~」と学生が来るのだが、この学生はこの会社と同様に中国や韓国やインドの学生と競争しているのだろうか。その意識があるのだろうか。しかも日本の労働者の賃金は安くないときた。

やっぱり話がそれた。

バブル崩壊以後の土地資産だけで、一体どれだけの富が吹き飛んだのだろう。
日本もアメリカも公共部門が大借金を抱えていて、特に日本は民間(家計)と企業に大量の資金が眠っているのだが、このアンバランスを解消するために、政府にとって最も都合のいい現代の「徳政令」はインフレだということをけっして忘れてはいけない。
メディアはデフレデフレ、不況不況というが、インフレの足音は少しづつ近付いているのだから。