2011年1月30日日曜日

正統性と民主主義~中東政変に思う~

エジプトでの民主化を求めるデモ隊と警官隊の対立が過激化している。すでに死者も100人以上に上っている。当局は首都カイロでのインターネット接続を封じた。カイロ中心部には現在軍が戦車と装甲車を展開している。
エジプトという国の過去半世紀の歴史は、国民の軍に対する信頼を醸成してきた。自由将校団の中心人物であったナセル元大統領による1952年のクーデターによって1953年に共和制に移行、その後の一連のイスラエルとの戦争を経て国軍は、国家鎮護の要たる地位を得た。
現在のムバラク大統領を筆頭に、歴代4人の大統領は皆軍の出身だ。この点は、国軍への支持が圧倒的なタイ王国と似ている。

犠牲者まで出すほどに先鋭化しつつあるこのアラブの大国の政変に、いよいよ国際社会は憂慮の意を表明し始めた。ダボス会議での話題はエジプトの政変に集中し、米国のスティーブン・チューエネルギー庁長官は、石油価格高騰の可能性に言及し、またイエメンなど周辺国でのデモも勃発し始めた。なによりも、北を向いてはイスラエル、レバノン(ヒズボラ)、パレスチナ、西を向いてはイラクにイランという「問題国家」を多く抱え、世界でも極東アジアと同じくらいに火種がブスブスと燻っているこの地域で、自らを「アラブの盟主」を以て任じるエジプト国家が弱体化し不安定化することの意味は計り知れない。

今最も神経をぴりぴりさせているのはアブドラ・サウジアラビア国王だろう。
この国は、アラビア語の国名を直訳すれば「サウード家のアラビア王国」を意味する。
シナイ半島と紅海によってエジプトと繋がる世界最大の産油国は、国名の通り、中世欧州的な絶対君主制国家である(北朝鮮民主主義人民共和国というバカげた名前より遥かに正直で好ましい)。
何度もこのブログで言ってきたが、自由・民主主義の本家たるアメリカの中東最大の同盟国であり、最大の石油輸入先は、この時代遅れも甚だしい絶対君主制国家である。

独裁という政治体制は、中国を見れば明らかだが、有利な点を多く持っている。
独裁権力というのは、選挙や反対派との調整などの手筈を限りなく少なく、速やかに権力の意思を実力(=警察力と軍事力)を背景に実行できる。いみじくも、今朝の日経朝刊に、先日日本国際の格付けを下げたS&Pの小川隆平ディレクター(なんじゃいぢれくたーって)が、「(日本政府の財政健全化の目標は)あってないようなものだ。政権が代われば『誰が言った目標なのか』と言うだろう」「3年間で3回も選挙に勝たないと国会をコントロールできない日本の政治制度そのものが財政再建にはネガティブ」と言っている。

では、独裁がいつもどこでも素晴らしいものかというと、そんなことはない。
なぜなら、それは、多くの場合統治の正統性について疑義ありとされるからだ。
民主主義の最大の長所は、「選挙民による選挙により選ばれた政治家が、選挙民の付託を受けて政治をいわば代行する」という擬制が成立していることだ。つまり、どんな政権も、形式的な民主主義の手続きに従う限り、その統治の正統性はまず肯定される。それがどれだけ機能不全に陥った末期的な政権であったとしても、その政権をクーデターによって打倒しようという動きが日本でなかなか出てこないのは、これが理由と考えてよい。日本の政権がどれだけ阿呆でも、そこではこの政権を批判する国民が国会議員となり首相となる可能性が保証されている。このことの意義は小さくない。

独裁権力にとって、検閲やインターネットの規制などによる情報の遮断やデモ・表現の自由の制限などと同様に大切なのは、即物的な国民生活の保障である。つまり、衣食住が充足され、適度な娯楽が提供されていれば、人間は飼いならされる。
中東に世界の70%の原油が埋蔵されていることと、この地域に独裁国・非民主主義国家が居並んでいることは全然偶然ではない。例えば、原油以外にほとんど何の産業もないサウジアラビアの一人当たりGDPは、日本や韓国などにはまだまだ及ばないものの、原油価格如何によっては$20,000近くにまでなり、これは台湾と比べても遜色のないレベルだ。もちろん世界第2位の経済大国となった中国などは比べ物にならない。
同じ独裁国でもアジアの東の北朝鮮が、サウジアラビアなどとは異なり無茶苦茶な瀬戸際外交を続ける必要があるのは、まさにこれが理由だ。あの国には富がない。その代わりに敵が必要なのだ。敵と戦う将軍様ーというわけだ。

こう考えるならば、独裁権力が、その富を国民に配分できなくなったときの脆弱性というものは民主的に選択された政権の比ではない。粘り腰はきかない。
これから食糧・エネルギー・資源価格の高騰が、世界的なインフレという形で進行するだろう。
外貨準備が比較的豊富な中東諸国が、すぐさま政治経済的な危機に陥ることは考えにくい。だが、世界的にも膨大な若年人口を抱え、裾野の広い産業を持たない中東独裁国家にとって、これからの5-10年は常に危機をはらんだ政権運営を迫られよう。

今回のチュニジア、エジプトの政変は、これまでの中東諸国の危険な国家群を支配してきた権力構造の”終わりの始まり”ないのかもしれない。