2011年3月24日木曜日

高い?安い?

世の中には値段の高いものと安いものがある。それは確かにある。
缶コーヒーをあるコンビニが明日の朝500円で売っていたら、確実に全ての人が「高すぎる!」と言って買うことはないだろうし、トヨタのディーラーがプリウスを100万円にしたらこれはすぐに売り切れるだろう。

だが、世の中には値段があってないようなもの、より正確に言えば、誰も高いか安いかわからないようなものが存在していて、かつそれを売買することは多くの場合、上に書いたような価格の高低が明らかに認識されている場合よりも、ビジネスとして利益につながりやすい。

考えてみてほしい。
次のものの値段が高いか安いかを判断できる人が世の中にどれくらいいるだろうか。

・ある会社が倒産する(債務不履行に陥る)ことのリスクの値段(クレジットデフォルトスワップ=CDS)
・心臓移植手術の施術料
・原発事故が起こった後のウランの値段

当然ながら、この記事は、上記の三つのうちの三点目について俺が今日ふと思ったことから書いている。

ウラン(U3O8、いわゆるイエローケーキ)を売り買いするとき、市況が安いと見れば買うし、高いと見れば売る。これはお猿さんでも分かる簡単な理屈だ。安い時に買って高くなってから売ること、高い時に売っておいて安い時に買い戻すことで利益を獲得できる。
だが、今度の原発事故のような事態ともなると、「市場の合理性」とか「神のみえざる手」とかいうものは、どこかに吹き飛んでいってしまったように感じる。

例えばウランの市況価格は、東日本大震災が起こった3月11日にはポンド当たり$68.00だったのだが、それが3月15日にはなんと$50.00まで下がった。どんな下がり方か分かりやすくいうと、日経新聞が突然160円から110円になったり、BMWの5シリーズが700万円から突然500万円になったりするような、そういう暴落である。
暴落はいいとして、こういう非常事態において、市場はある取引価格が「高い」のか「安い」のか判断することができない。それでも取引がなされるのだから、取敢えず買主と売主はいるわけだ。

ウランの価格が$50.00まで下がったときに、買う人はこう考える。
「ここが価格の底だから、ここで買っておけば先で値上がり分を利益にできる」。
他方、$50.00で売る人は、こう考える。
「ここからさらに$40.00まで下がるから、$50.00で今売っておけば$10.00の利益を確定できる」。

この場合、高いも安いもない。ある市況価格を「高いと思っている売り主」と「安いと思っている買主」がいるだけだ。市場参加者の、完全に主観的で根拠薄弱な思い込みだけだ。ここでは、合理性など全然機能していない。
面白いことに、リーマン・ショックに至るまでの数年間に(その後もそうだが)莫大な額のボーナスをもらっていた大手投資銀行のビジネスマン達は、多くの場合こういう商売をしていた。こういう商売というのは、一般人からは価格形成過程が判然とせず、高いのか安いのか判断することが非常に困難な市場での取引ということだ。最近、「史上最大のぼろ儲け」という本で、ジョン・ポールソンという人が、一年間にどうやって150億ドル(1.2兆円)を稼いだかということについて書かれている。この人がなにをやったかというと、サブプライム・バブルに皆が踊っているときに「逆張り」をした。つまり、サブプライム・バブルがはじけたら債務不履行に陥る会社のリスクを「ロング」(買い持ち)した。それによって、実際にバブルがはじけて多くの会社がデフォルトに至り、彼は途方もない利益を上げた。
(もちろん、CDSを取引することができる地位にあったトレーダー・投資家は彼だけではないのだが)
だが、考えてみてほしい。我々のような普通に暮らしている人の中で、「会社が倒産するリスクの値段」について考えたりしている人はごくまれだろうし、そもそもそんなものが市場で取引されていることを知らない人も多い(少なくとも我が母と倉敷の姉は絶対に知らないと断言できる)。
じつのところ、資本主義が高度化すると、価格競争が激化して利益率は低減していく傾向にあり、巨大な利益を上げようとすればどうしてもこういう「超ニッチ」なマーケットに参入したり、あるいはそのマーケットそのものを作る必要があるのだろう。

歯医者にいっても、いつも思う。施術後に、「3500円頂戴いたします」と言われる。それが高いのか安いのか、誰か調べて値引いたことがある人がいたら教えてほしいものだ。もちろん、診てからでないとどんな医療サービスを提供することが適切であるのかが判断できないという意味で、ユニクロが洋服をたなに並べるような商売を医師ができないということも分かるのだけどね。

結論:

世の中には、値段のつきにくいものが沢山あって、そういうものの売買を生業にすることができたら多くの場合経済的には豊かに生きられる確率がそうでない場合に比べて高くなる。証券トレーダー、医師、弁護士、住職、その他。
さはさりながら、世の中には「絶対に値段がつけられないもの」がある。「つけにくいもの」ではなくて、「絶対に値段がつけられないもの」だ。心当たりのある人はたぶんいい人生を生きている。
これから我々が重視するべきは、これだ。

独り言:

最近社会的にも私生活でも信じられないようなことがー良いことも悪いこともー続々と起きていて、まともに読書を行う時間も思索にふける時間もなくブログが悲惨な状態になっていた。現実と空想の境目が漠然として、自分の身体の現実感覚が麻痺していくような浮遊状態とでも言おうか。
こんな時だからこそ意味ある言葉を紡ぐことが大切なのに、本当に不細工だと思う。
挫折はある。大事なことは、中断しても再びやり始めることだと思う。