2011年3月30日水曜日

長い独り言

思えばこのブログは全てが単なる俺の独り言なんだろうけど。

トータス松本氏(ウルフルズのヴォーカル)が、テレビCMで「日本は強い国、日本の力を信じてる」と力強く言う。プロサッカー選手が世界中から飛んで帰って来てチャリティ・マッチを行う。トヨタの豊田社長が「東北の物作りを復興させる」と宣言する。
素晴らしいことだ。
全く素晴らしいことだ。強く明るい言葉で、誰か一人でも励まして鼓舞できればと思わない人間は今いないだろう。管首相も地震が起きた直後に言っていた。「日本は過去に何度も国難を乗り越えてきた」と。

だが、冷静に考えてみると、実際のところ過去と比べても我が国の置かれた環境はさらに厳しい。それは、大震災が起こる前から存在していた事実である。人智を超えた大津波や原発事故に目を奪われて、頑張って復興に日本国民一丸となって取り組めばやがて新しい祖国が力強く立ち上がると考えるのは楽観的過ぎる。

比較として、大東亜戦争に敗北した直後の日本と現在とのを国際関係の視点からみてみよう。
1945年、日本軍が連合国に無条件降伏(軍の無条件降伏であって、国家の無条件降伏ではない。ポツダム宣言には、ちゃんと「日本軍の降伏の条件は左の如し」とある)、1951年サンフランシスコ講和会議で主権回復、国際法上の戦争状態の終結。この頃我が国がおかれた環境は、次のようなものだ。

1946年3月には、早くもチャーチルが米国フルトンで「鉄のカーテン」演説を行い米ソの対立激化に警鐘をならした。米国の数年間の核兵器の独占は、1949年のソ連初の核実験により破られた。
そして1950年6月には、日本と目の鼻の距離の朝鮮半島で、北朝鮮軍が大韓民国への侵略を敢行し、国連軍としての米国が大規模に介入することになった。要して言えば、過去100年のうちで最大の危機にあった戦後の焼け野原状態の日本は、ーまことによく言われることの繰り返しだがー米ソという核兵器を獲得した超大国の世界規模での対立の最前線において、米国の側に与し、米国の庇護を受けられる絶妙の地位にあった。
朝鮮で戦争は起きているが日本は静かに掃海艇を出すのみで(のみ、ということが初期の海上自衛隊の方に対して失礼であることは知っている)、むしろ朝鮮戦争特需で国内は好況に沸いた。その後の経済発展も、基本的には米国が日本を東アジア・西太平洋の重要な橋頭保として維持するという国家戦略の恩恵を十分に受けた。国内の共産主義・社会主義勢力の存在を対米外交のカードとして用いて、軽武装・経済重視により外貨を稼ぐという20世紀後半の日本の「大戦略なき国家経済戦略」は、米ソの世界中での対立の間隙をついた大変巧みなものだったと評価できよう。

国内経済的には、経済のファンダメンタルは力強かった。 1945年には7000万人程度だった人口は、1970年までの25年間に1億人に到達した。自動車化が進んでいなかった都市に自動車が走り始め、国土は高速道路と幹線道路でつなげられた。テレビ・冷蔵庫・洗濯機の「3種の神器」が必須の家電になり、あらゆる製造業はひたすら設備投資を行い生産力を増強した。経済が縮小することが考えられない時代が数十年間続いた。その時代のなかで、日本からの輸出は爆発的に増加し、1980年代後半には米国との間で深刻な貿易摩擦を生むまでになった。

こう言うからといって、俺は親父や祖父の世代の努力を無視したいのではない。「たまたま国際関係と経済ファンダメンタルがよかったから」などと言いたいわけではけっしてない。だが、3.11の前の日本国家の危機と言えば誰もが想起するかの戦争後の環境と、現在の日本を取り囲む環境は、まったく違うことだけは確からしい。

日本の唯一にして最大の同盟国・アメリカのGDPはかつて世界の半分だったが今はせいぜい20%程度というところだ。アメリカがこれから徐々に世界中での軍事的プレゼンスを後退させていくことは、あの国の財政赤字のレベルからしても不可避のことのように思う。そうであればこそ、中東・北アフリカはあんなことになっている。核兵器も米ソだけが保有していたものが、今は米英ロ仏中に加えてパキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮にまで拡散した。それ以外の破滅的な大量破壊兵器及びその運搬手段も、悪いことに国家ではないテロリストにさえ入手可能になった。
さらに、勃興する中国はますます西太平洋への野心を露わにし、東南アジアでも鉄道敷設や海軍港建設(ミャンマー)に余念がない。今年中に空母保有を公式に表明しもするだろう。

経済的には、韓国・台湾を始めとしたアジア諸国は、かつて日本が無敵を誇った自動車・電機産業で猛烈に追い上げている。そのうち日本人の家にはSONYや東芝ではなくLGやサムスンのテレビが置かれるようになるだろう。日本の製造業は、国内を後にしてより安い労働力を求めて海外へと飛び去り、若者は親が蓄えた資産で食いながら恐るべき就職氷河期のなかで戦っている。企業は生産要素を世界中に求めるようになり、先進国ではデフレが常態化して賃金は耐えることのない下落圧力を受ける。

福島県の一部の土地や水が放射能で汚染され、東京電力の経営が傾き、電力料金はさらに高くなることは必定だ。原発の稼働停止と国民の反原発センチメントは、資源なき日本が安い電力を手に入れるために必要条件である原発の稼働を妨げ、新規建設は途方もない逆風を浴びるだろう。高い電気料金と九州・東北・関東での停電の恐れから、さらに国外へ生産拠点を移す企業が増えることだって十分に考えられる。

我々は、何が必要としているのか。
革命だ。
革命と呼べるほどの変革だ。
それなしに、日本がどうして救われるか。もはや高度経済成長期の幻影にうつつを抜かすこともできないし、今の借金漬国家財政が継続可能であるはずもない。
新しい産業は、真に人類史的な要求に合致したもであるべきで、そこに我々が目を向けないならば日本人は不幸な衰退の道をたどるだろう。
いや、そもそも「産業」が存在する必要があるのか。

最近、日本人が世界に対して背負う道徳的かつ文明史的な義務について毎朝考えている。頭でっかちの大法螺吹きと言われても、それが今俺がなすべきことだと思う。そんな話でも面白いと言って聞いてくれる人が世界にはいてくれるかもしれないから。誰もしないことを真面目にやる。それが一番大切だ。誰かが俺と違うことをやっているなら、それも素晴らしいことだ。同じことをやる必要は全くない。

独り言:

仏の不藤からいまメールがきた。「突然勉強せなあかんことが増えて困っておる。」まったく同感だ。中東に革命の嵐が吹いていると思ったら欧州がリビアに戦争をしかけた。イエメン・バーレーンもやったるでとエリゼ宮の主は鼻息が粗い。いつかのホワイトハウスの茂君のようだな。シラク時代が懐かしいと愚痴をこぼすフランスの知識人は多いことだろう。東のほうでは1000年に一度の地震で1万人以上の方が亡くなり原発事故は終息の見込みさえなく東京は常に電気不足で夏の大停電がささやかれる。
世界最大の民間電力会社が国有化されるという噂も飛び出す。日本のエネルギー・電力安定供給はこれから重大な試練を迎える。電力会社の再編が始まれば、商社の再編がないと考えるほうが阿呆だ。
世界が終わるとは思わない。今のこの時代は、特別な時代だとも思わない。だが、世界が確実に変わりつつあるただなかに俺らはいま在って、そのことを意味を正しく理解しなければ生きていくということさえも難しくなってしまうだろう。
来月中国の不動産バブルが弾けて、ポルトガルがデフォルトを宣言して、ベネズエラにまで中東の革命熱が飛び火して、さらに北朝鮮で将軍様に対するクーデターが起きてドンパチを始めたら、世界は終わりはしないが確実に変わる。俺らが想像できないほど激しく。
想像せよ。ありとあらゆる可能性を。今日と同じ明日が来るという幻想のなかに生きてはいられない。明日は、人類の終わりの日ではないが、今日とは全く違う日であるかもしれない。ただし、忘れてはいけない。変化こそは常に最大のチャンスであって、変化なき社会を求めるのは意思薄弱などこかの坊ちゃんだけだ。

あぁ、やってしまった。寝ぼけながら書くと、いつも無駄に長いね。悪文にお付き合いいただき、どうも有難う。こんな出鱈目な文章であっても、それでも書き残せば、「おぉ、こいつ頭整理できてないな」と皆には分かるだろうから、それだけでもいいと思っている。
このブログを読んでくれる皆の幸せを、毎日一回だけ祈っている。

おやすみなさい。