2012年12月2日日曜日

平凡ね

平凡でいいと人はいう。

偉大なる平凡に対して、保守主義は常に敬意を払ってきた。
どんな出来事にも浮き足立つことなく着実に毎日を仕事を積み重ねていく、常識と伝統を備えた偉大なる平凡こそが、翻って非凡なる何かを蔵するのであると。
俺もそれはそうだと思う。
そういう地に足のついた人間たちが俺らの命をここまでつないできたのだと思う。

だがね。

頭から平凡に生きろと言われては腹が立つ。俺が夢見がちな糞餓鬼だからか。
平凡な人生をこれまで生きてきた俺が、残りの人生でいきなり平凡を脱していくことは考えにくい。
そりゃそうだろう。

それでもね。

歴史はけっして「自分は平凡な幸せだけが得られればいい」と考える人間だけによっては動いてこなかっただろう。

ふぅ。

何が自慢の息子だ。
笑止千万だ。
俺が何を成したというのか?
通信簿にオール5をとってきてママに褒められる優等生のようだな、貴様。
命を喰い散らかしてただ好き勝手に30年を生きた。それだけのことだ。
何のために???

頼むから俺を恥じてください。
この自堕落で人間嫌いで風呂で読書するつもりがいつも居眠りして本を水浸しにするばかりしているこの意志薄弱な糞野郎を。

昔俺は狼ではなくとも野犬ではあった。少なくとも野良犬ではあった。
それがいまやぬくぬくと、臭い人間どもに飼いならされたラブラドールレトリバーになってしまったように感じる。
ドッグフードを噛み砕くためだけの牙ならそんなものは捨ててしまえ。

何に苛苛しているのか分からんが。
まぁ、平凡に生きることも大変なのだというのだろう。
平凡に生きようとして平凡に生きられるほど安楽な世界はもはや俺の眼前にはない。
俺は俺を嫌う。その精神も肉体も木っ端微塵に切り刻んで産業廃棄物に混ぜて捨ててしまいたいほどだ。

「おめでとう」という言葉は、「おめでたいねぇ、あなたの頭の中は」というふうに理解するのが正解である。

東京八重洲の富士屋ホテルのロビーの100円PCにて記す