2012年12月16日日曜日

女は家庭を守るべき??

という人が増えとるそうな。

ちょっと理解を越えているので思うことを少し。

日本人の被雇用者の平均年収が約430万円。上昇する見込みなし。二十代男性のそれは平均だと300万円に届かないだろう。東京や東京近郊に住めば、家賃だけで100万円はかかるから、シングルインカムで二人の男女が暮らす場合、多くの若い夫婦の生活水準は一気に下がる。親から仕送りをもらいつつバイトで月10万を稼ぎ遊んでいた大学生の頃のほうがはるかに金持ちだったという冗談のような事態が起こる。

そんな時代に「女は家庭を守るべき」というのは、結局「女は家庭を守るために仕事をするべきではない。が、それでは経済的にやっていけないので結婚はしない、あるいはまだしない。結婚しても子供は作らない」ということにならないだろうか???
結婚は、一部の高所得の男性とその彼女だけができるものであるべきだと考える人はいないだろう。結婚はディズニーランドで巨大ネズミと戯れるようなものではないし、たまにドブねずみに足をガリガリ齧られるようなものでもありえるから、結婚=メリットだというのは嘘だとしても。

俺がこの「女は家庭を守るべき」を嫌うのは、この古色蒼然たるドグマ(教義)は、多くの若者が子を生み育てることを不可能に、或いは困難にしているとしか思えないからだ。
27歳の独身女性が「結婚したいんです。相手の年収は最低800万円。年は30まで。」というとき、彼女はシングルインカムで生活していくことを想定しているわけだが(おそらく彼女が育った家庭のように)、現実としてこの言明は「私はとても運が良ければ結婚しますが、たぶんできないでしょうね」と言っているに等しい。
男は、「自分の稼ぎでは妻子を養えないから」と萎縮する。女は母と同じ暮らしを夢見て高所得の男を探す結婚活動すなわちコンカツに精を出す。
だがその母が若いころというのは、トウショウヘイがようやく改革開放を宣言した頃だったり、韓国が軍事独裁政権であったりしたころの話なのだ。サムスンの携帯電話もユニクロのセーターもハイアールの冷蔵庫もまだこの世になかったころの太古の昔の思い出を妄想していては、もはや生き残れない。

上のURLの読売新聞の記事にもあるのだが、「妻が家庭にいること」=「家族を大事にすること」というのは一体全体どういうことだ?俺はそんなことを全然聞いたことがない。
誰がどう考えても、ある夫婦が「これからの時代は最高の教育を受けた者だけが生き残れる。そのために妻も家の外で稼いで子供に最高の教育を与える」と考えることは、とても「家族を大事にしている」といえないだろうか。「家族みんな収入が少なくとも小さな家で仲良くこじんまりと幸せに暮らしていけたらいいね」という人生観・家族間は、もはやこの世界では通用しない。日本という国がなくなって会社がなくなっても家族を守って生きていくことができるか?
世界中で貧しい人たちが少しでも豊かになろうと頑張っているのだから。シャープやパナソニックやソニーの経営がここまで傾き、日本の自動車メーカーがその東南アジアで車を作り始めた時代に、夫だけの給料に生活の全てを依存することのリスクは計り知れない。

もちろん、政治と企業の責任は重い。
俺が勤める会社の女性の総合職も、たぶんいろいろなことを我慢しながら、例えばベルギーやノルウェーの女性よりもはるかにしんどい思いをしながら、この男社会・男会社で働いていることだろう。彼女たちが、「結婚したらやめようかな」と思うのはさもありなんというところだ。だが、それでは駄目だろう。人材は資源なのだ。資源を使い尽くして戦わねばならん。出し惜しみをしている余裕は今の日本にはない。
アメリカ軍の戦闘艦の艦長になった女性もいれば、爆弾を吊り下げてテロリストへの攻撃に向かうF15パイロットの女性もいるだろう。そんな時代に、「女性は家で家庭を守れ」などというのは、長期的には民族消滅につながるものと考えるべきだ。

俺はここに自分が愛国的・保守主義的フェミニストであることを宣言する。
女性は、「肉食系男子がいない」と嘆くのではなく、自身が肉食のプレデターになってか弱い男を打倒し、蹴散らし、蹂躙し、殲滅していかねばならない。

なんだか10年前の姉貴の言っていたようなことを言っとるなぁ。
その姉貴と言えば、今は専業主婦で幸せに暮らしているのだから、まぁ世の中そんなもんだよ。