2012年12月17日月曜日

そして再び自民党

田中角栄流の中央=東京から地方への富の分配によって、「社会主義的資本主義」を成功させ世界にもまれな平等で豊かな日本を築いた80年代までの自民党は、バブル崩壊以後もはや意味のない公共事業によって経済を刺激することしかできなかった。そして失敗した。
この自民党の長きにわたった経済政策は、「経済成長」を大前提としていたからだ。

21世紀になって首相となった小泉純一郎氏は、過去の自民党の経済政策から大転換を図り、経済成長を意図した改革を行った。そこでは緊縮財政が敷かれ、労働市場の規制は大幅に緩和され、その結果、日本の経済的格差は拡大した(90年代にすでに拡大していたという議論もあるが)。小泉氏があれだけの人気を博したのは、その政策が明らかにひとつのこれまでとは異なる方向への転進であったからだ。もちろんそれを政治ショーにする術に長けていたのは疑いないにせよ。
これに反対するために2009年に政権を奪取したのが鳩山-菅-野田の民主党政権であった。
民主党政権は、子供手当ての拡充などの政策によって経済成長ではなく分配を重視する政策に舵を切った。
この政党のなかには多くの元社会党員が含まれていることなどと考えれば当然のことであった。

そして、今、国民は、この民主党にも背を向けて消去法(だろう)によって再び自民党を政権に就けた。
安陪自民党政権は、二つの道しか原則的に手持ちのカードがない。
ひとつは安陪総裁が選挙前から主張したインフレ・ターゲットを導入し公共事業を全国規模で推し進めることであり、これは古い自民党への回帰といえよう。このインフレ政策は、世界経済のマクロ要因によってデフレ経済が恒常化しているいま、物価は年率5%上昇したが給料は2%しか上昇しないということになりはしないか。国民は、経済の見通しを楽観し金を使うようになるだろうか?
いまひとつは、小泉流の経済成長路線への回帰であるが、これはインフレ政策を採ることはない。この場合にはおそらく労働法の改革や法人税減税が政策課題として議論の遡上に乗ってくると思われる。

これまでの安陪総裁の発言を見聞する限り、安陪第二次政権の経済政策は、インフレ・ターゲットを導入し、無制限な金融緩和・量的緩和と公共事業の組み合わせによってデフレを脱却、税収増を目指すものとなる。
小泉政権の経済政策によって、経済が成長したにもかかわらず格差が拡大し民主党に政権を奪われたという経験を持つ自民党としては、再び同じことはできないのだろう。

だが、これは大いにギャンブルである。
日本の長期金利がひとたび急騰し始めれば、これを押しとどめるために日銀は国債を買いまくるという危険な状況に追い込まれる。
すでに世界最大規模の日本の財政赤字の上にさらに建設国債まで発行し、それを日銀が買い取る(ということも検討されるだろう)ことまでやってデフレ脱却を目指すということは、短期的には財政収支をとりあえず無視して目の前の経済を浮揚させようというものであり、国民に聞こえはよいが、永続するものではありえない。

にもかかわらず、民主政治においては、政治家は国会に登るためには国民に痛みを押し付けることを可能な限り回避しようとする。
上記の意味でいえば、この選挙は非常に成熟した民主主義国家での選挙というにふさわしいものだ。それはもちろん良い意味ではなく、どの政治家も国民に阿ることをまず第一として長期的戦略を説明し、目の前の痛みを引き受けさせることに失敗しているのである。
それは言うまでもなく有権者たる国民の責任でもあるのだが。
とは言え、俺はどちらが正しいのか未だによく分からない。その知識と知恵がない。
イギリスのキャメロン首相の思い切った財政改革をたたえる人がいるが、他方でボロクソに言う人も少ないない。
山田法谷先生であれば、どうせよと仰るだろうか。


NYに向かうAmtrackから東海岸の寂しい冬の街並を眺めつつ記す