2010年11月6日土曜日

完全な人間

母たる女性こそ、人間という生物のうちで最も美しいのだと思う。つまり、彼女は、吠えることも唸ることもなく冷静に鹿を殺す狼なのだ。
彼女にとって世界は、完全な身体性と即時性を持って常に彼女の側にある、否、彼女と世界を区別するものは最早存在せず、彼女即世界の関係が成立し、主客二分論は止揚される。
これに対して男は、自分の卑猥な自己顕示欲と性的欲求の混入した支配欲に動かされ、これがために仕事に励み身体を鍛える。まるで、女性に受容されざれば自身が存在すること能わざる者であるかのように。陥穽は此処にある。
女性との関係ー殆どの場合それは性的関係を伴うーによって大方の男は世界に受容される。それは彼らが望むことである。しかし、このことによって、男は世界内存在(注)として、謂わば世界に包含されてしまう。かかる上は、彼は世界を批判することはできない。世界内存在が、「世界」を変えることはできないし、破壊することもできはしない。
俺は、女性の優しい砂糖によって世界という苦い対象を甘くして、そのなかに自己を没入させることで得られる幸福を拒否する。俺は、その道が幸福であるか否かに関心を払うことなく、世界外存在たるべきだと信じる。俺は、集団登下校を拒否する。おぉ、異教徒の聖夜に色めき立つ畜群よ!

「私は、ここに立つ。私には、ほかにどうすることもできない」

-マルティン・ルター
ハプスブルグ帝国皇帝カール五世のヴォルムス国会の召喚に応じて

(注):ハイデガーがいった「世界内存在」ではない。単純に、in or outと考えられたい。

追伸:

「自分や自分の作品を退屈だと感じさせる勇気を持たない者は、芸術家であれ学者であれ、けっして一流の人物ではない」

-ニーチェ