2010年11月12日金曜日

缶コーヒー

大学に入ってから、河原やカフェで読書をするのにどうしても手放せなくなったものが、珈琲。
今なら、例えば、どこぞの山に走りに行くぜ!というときは、車に小型バーナーと珈琲豆を積んで行くのだが、かつては屋外で珈琲となれば缶コーヒーしか選択肢がなかった。

20歳で関学に入学してから約9年、恐らく俺個人の類型消費量は数百本(千?)に達するはずだ。

怖るべきことは、俺が口にしてきたこの数百本の様々な缶コーヒーのなかで、一本たりとも「ぬるいなぁ」とか「これは熱すぎる」と感じさせるものがなかったということだ。我々は(少なくともさっきまでの俺は)自販機で缶コーヒーを買えば、たとえば熱い缶コーヒーならば、掌で握り締めるには熱すぎるがさはいえ触れることもできない熱さではないという、あの絶妙な適温を当たり前のことと思っている節がある。だがこれはすこいことだ。 ちょっとした機械文明時代の職人芸とでも呼びたい。

気温が3度のときも33度のときだってあるし、自販機に搬入したばかりということもあるだろう。単純に自販機が気づかれぬまま故障 しているということだってあるはすだ。 それでも、常に同じ。常に同じ”パフォーマンス”。これこそプロの仕事だ。しかも玄人っぽく、全く目立たない。

たぶん、このクソッタレ資本主義というものは、数限りないこういう見えないプロフェッショナルの仕事を生み出すことで社会を支えているんだろうと思う。そりゃイチローは確かにプロだが、イチローだけがプロなわけでもない。そういう隠れたプロを思い遣り(思い遣り=遠くを思うこと)、いい気分になった。が、俺はプロではないな。

街や田舎に乱立する自販機を、とてもいとおしくなど思えぬが、こう考えてみると自販機もそれを管理する飲料メーカー(?)も、たいしたものだなぁと、銀杏並木のとなりの人気のないベンチに座りながら考えた。 とても日本人以外にはできぬ芸当だと思う。外国に自販機がない理由の一つかもしれんね。

おぉ、どこからか「すごいのは自販機だろう」というニヒリストの声が聞こえてきた。

さぁ、今週は山で焚き火じゃ(キャンプ)。寒いから薪はたっぷり必要だが、できる限り現地調達を旨とすべし。

今日買った本:

佐々木中「夜戦と永遠」以文社 2008年

みんなよい週末をお過ごし下さい。