2010年11月30日火曜日

福武總一郎氏の話を聞いて考えたこと

11月27日の夜、Bennesse会長の福武總一郎氏の話を聞く機会があった。
立場のある人なので、総てのメモをここに公開(というほど大規模なブログではないが)することはできないが、特に俺が伝えたいと思うところは備忘録として残しておきたいと思う。
長いので、時間のあるときに読まれたい。

・日本の人口は減少し始めたのに、東京の人口は増えている。日本では、未だに「大きなもの」がいいという価値観が保存されてしまっている。滅びる前の恐竜のようだ。
・Harvard Business Schoolを全く評価していない。金儲けのため作戦をひたすら事例研究で勉強している。
・会社は一人ではできぬことを志を同じうするものが集まって実現する場所だ。だから、その目標に一致できぬものは出ていけと父(福武哲彦氏)に言われた。
・プリミティブ(原理的な)なことを深く、いつも考えることがなにより大切だ。なんのため生きるのか、なんのために働くのか、人生とは何ぞや、云々。
・この日本に未来なぞない。絶対にない。リーダーも生まれない。こんな借金だらけの国にした者たちに対してどうして若者は怒りをぶつけて行動しないのか理解できない。
・この国の教育は最悪だ。明治以来、日本の教育は「強い個人」を作ることを怠ってきた。強い個人なくば民主主義は機能しない。東京の官僚にすべてを決められておかしいと思わないのか。
・東京の人間はPassiveだ。”楽しいもの”が身の回りにたくさんあるから、ほっといても退屈はしないからだ。東京に幸福はない。
・会社は、売上や利益の大きさは兎も角、社会から尊敬される存在でなければだめだ。
・ゆっくりとやってくる環境危機に誰も本気になっていない。集団ゆで蛙だ。エコで金儲けを企む者は多いが。
・電気自動車普及委員会の会長を務めている。この会の代表幹事は岐阜県各務原市の改造電気自動車製造メーカー”ゼロ・スポーツ(http://www.zerosports.co.jp/index.php”の中島氏。現在世界に9億台走っているガス車を、電気自動車で置き換えるには時間がかかりすぎる。ガス車を電気自動車に改造する方法なれば、安価かつ迅速に電気自動車への切り替えが可能だ。
・幸福に生きるためには、幸福なコミュニティが必要だ。
・宗教なぞよりも、自分の祖先を敬え。自分の家族の墓を大事にしない奴はクソだ。それは自分という人間に柱がないということだ。そんな人間はどうにもこうにもしようがない。
・お代は幸せの対価。金を儲けたいと思うなら、どうすれば人を幸せにできるかを寝ている時も考えろ。そうでなければお金は自分のところには来ない。

地位のある人の特権の一つは、当たり前のことを平然と偉そうに言えることだ。それは特権だ。
上の羅列のなかにさして新しい情報なぞない。だが、自身で事業を劇的に拡大・発展させた人がいうのと、サラリーマンが赤ら顔で講釈を垂れるのとではやはり判然と違う。そこにはかつての実行の影が常にちらつくために、それが迫力となって言葉に力を与える。

この人物の反骨心、権力、中央に対する反骨心はものすごいものがある。未だに本社はBenesseの東京ではなく岡山にあるし、現代アートで世界的に有名になった直島も瀬戸内海の小さな島だ。彼曰く、「あれが東京にあっては意味がない」。

ポンヌフに向かう車中で親父と話をした。水島の三菱自動車がコルトなど小型車の生産をインドネシア(だったはず)に移管する。これで、親父の推定では5000人の規模で仕事を失う人がでる。俺が勤める会社の従業員+1000人である。家族5人なら2.5万人。ついに倉敷にも、日本の国際競争力低下のさざ波は大波となって押し寄せてきた。瀬戸の海はいつも穏やかなのに。

前グーグル・ジャパン社長の辻野氏が、著書「グーグルで必要なことをみんなソニーが教えてくれた」のなかで、カルロス・ゴーン氏と面談をした際のゴーン氏の発言についての記載がある。ゴーン氏は、「(日産の社長に)就任したときは、問題があまりに大きいので、これは大きなチャンスがあると思った」と言ったそうな。
この理屈で言えば、また日頃倉敷出身の俺が東京で感じていることを言えば、東京こそが茹で蛙だ。美しく着飾り、壮麗な邸宅に住みながら茹であげられる蛙だ。
街にはピカピカに磨かれたジャガーやBMWの旗艦車種がごろごろ走り、フェラーリやベントレーも少なくない。日曜日に丸の内や表参道や六本木に行けば、「あぁ、日本はまだまだ豊かだな」と誰でも思うだろう。また、多くのグローバル企業が本社を置き、一部上場で数千人規模の大企業はリーマン・ショックから立ち直り概ね堅調な様子だ。だからこそ、日本の若者は地方を捨ててこの東京に淡い夢だけを手にやってくる。要するに、東京にはまだまだ富があるのだと思う。

このことは、東京を日本で最も保守的な街にしているとは言えないだろうか。
東京で衣食住と教育・医療に困らない生活をしたければ、大企業に就職するのが最も安定的で堅実だ。世界的に見ても、トップレベルではないが、ある程度の生活水準(あくまで、”ある程度”だ。あるべき程度ではけっしてない)は望めるだろう。
それが分かっているから、就職活動中の大学生は、大手企業を目指す。大手企業は東京にあるから、東京に彼らはやってくる。

日本の繁栄の20世紀後半は既に終わったのに、その幻想にすがりついているのが、霞が関の官僚達や大企業の”エリート社員”だけではなく、最も革命的であるべき学生たちであるという事実。
そう言っている俺が、日本でも恐らく最も保守的な大企業に勤めているという絶対的矛盾。切腹ものだ。
自己を否定できぬものが世界を否定することは不可能であり、世界を否定することなしに世界を変革することは不可能である。そして、現在の日本は、真の意味で変革されないならばただ没落しゆくのみ。
次代を作る新しい思想・哲学は、以上の理由から、地方からしか出てこないだろう(ベンチャー企業は東京が一番多い!などと呆けた批判をせぬように)。違う言い方をすれば、東京はかつての江戸幕府だと思っておけばいい。たまに優秀な人材を輩出するものの、総体としてはやはり守旧勢力なのだ。そういう一派に自己否定を要する革命なぞできはしない。
そして、幕末と異なり、地方からでてきた新しい思想は、これからは東京を経由することなくいきなり世界へ向かうのだ。東京は無視されるべきだ。福武氏が東京ではなく直島をモダンアートの島として再生したように。そしてそこに多くの人々が世界から押し寄せているように。それができるだけのインフラが、既に整いつつある。以前述べた、格安航空会社もその一つだろうし、”フリー化”もその一つしあげられるだろう。名古屋と東京を500kmhのリニアで結ぶために必要な数兆円の一部の地方に分配して、日本の地方都市へのLCCの乗り入れを促進するべきだ。
中央がすべてを差配するという明治以来のこの国の支配形態こそ、我々が打倒しなければならないもので、それに抗うものが何者であるのかということが、最近おぼろげながら見えてきたように思う。

まとまりのない駄文に付き合わせてしまい、申し訳ない。

独り言:

会社で「お前浮いてるよなぁ」とたまに言われるのだが、俺からしたら彼らがどぶの底に沈んでいるのである。「どぶのみずみんなで浸かればいい湯だな(5・7・5)」という塩梅で、彼らは全然それに気が付いていない。悲しく惨めだ。