2010年11月14日日曜日

パンダとくらげ

尖閣諸島をめぐる数ヶ月間の問題は、現在中国の漁船と巡視船との衝突ビデオをYoutubeに投稿した海上保安官の逮捕如何をめぐって注目されている。
数週間前の検察の中国漁船の船長釈放について、「検察が政治的判断をしては法治国家ではない!」という批判は、まぁそのとおりだろう。
だが、対中国の安全保障・外交力というより大きな視点から見ると、問題の本質はそこではないと思う。
「法治」が貫徹していること以上に大切なことは、政治の側の意思と、その意思を断固として遂行する覚悟を国家のリーダーが示すことだろう。誤解と批判を覚悟で極論を言えば、「法」がきちんと整備・運用されずとも、プラトン的な哲人政治家が統べる国では「法治」は必ずしも必要ではない。
現在の日本には「法治」も「人治」もないのだ。それは国家が弱体化しているということだ。今の日本は、過去百数十年の間に醸成された一群の既得権益が統べる国なのだと思う(既得権益を内蔵しない権力なぞあり得ないのであろうが)。日本という国のクラゲのごときフニャフニャの政権が牙をむき出しにした凶暴なパンダと穏やかに笑う白頭鷲(アメリカの象徴)の間で太平洋の西の方をフラフラと漂っている。たぶん世界からそういうふうに見られているのだろう。
他方で中国には、当然「法治」はないが少なくとも「人治」はある。無茶苦茶であるとしても。
「あれは那覇検察の判断でありますので」などと首相が責任を回避していては、たとえ今回の事件において検察がきちんと中国人の船長を起訴立件したとしても、それでは不十分だ。国家の意思を示すことが首相の最大の仕事であり、それ以外はその他閣僚・官僚の仕事だろう。
ペリーの黒船に動揺して右往左往したかつての江戸の幕閣と、一隻の小さな漁船のタックル(にしか見えません)に動揺しまくって挙句に検察に責任を押し付けようした事なかれ主義の現在の日本政府が、よく似ている。ロシアも完全に足元見てるしね。


それでも俺は日本の将来を楽観している(俺の将来は達観している)。
我々は、近代西欧の世界制覇に対して唯一「否」を突き付けて鉾を手に立ち上がり世界史の大転換をもたらした国である。大敗北のあとにも、物質主義に偏りながらも経済成長で世界を瞠目させた。
この国は、危機の際には必ず他の政治共同体とは異なる我々独自の精神的自主性の復興が行われる。
それは、必ずしも中国との対立関係にのみ我々を導くものではないだろう。中国の巨大な国力に間近
で影響されながらも、それを受容して日本という国の精神的自主性を維持・扶養することが、我々が後世のためになすべき最大の貢献であり、先輩達に対して負う責任の履行である。


今回の事で可哀そうなのは映画「海猿」の製作に携わった人たちだ。実際にマイナスの影響があるかどうかは分からんが、少なくとも興業にプラスの影響はないだろう


独り言:


「一方で経済の世界性を要求しつつ他方で国家の自足性を要求するとき、国家がその領土内に於いて能う限り自主性を保つべき領土的拡張の要求を抱き、一個の自足的世界性を持つような帝国を構成しようとする意図に出ることは当然の傾向である」

-高山岩男「世界史の哲学」p.323

恋愛とは、第一に孤独からの盲目的逃避であり、第二に自己愛への間接的隷属であり、そして第三に肉欲の道徳的充足である。

-俺 (あぁ、皆に喧嘩を販売してしまった)